夕べは「ホテルホークラ新潟」に初めて宿泊した。過去2回はいずれも「ホテル日航新潟」に宿泊したが、偶には別のホテルも良いのではないかと妻と相談し、信濃川に架かる万代橋際の同ホテルに予約した。今日は父の日に当ったおかげで、息子から2冊の立派なアルバムをプレゼントしてもらったことも嬉しいことである。先日のトラック島旅行の写真を整理するうえからもタイミングの良い贈り物で有難く思っている。
5人目の孫「花」のお宮参りを白山神社で行い、立派な昇殿で神主さんから祝詞をあげてもらい孫の健やかな成長と幸せを祈願する。その後時間があったので、息子家族と嫁の両親とともに「日本海タワー」と称する小高い丘の上の展望台を訪れた。新潟市内はもちろん、天候さえ良ければ佐渡も一望できる回転式の展望台である。近年は市内にももっと高いタワーができたせいで、見学者も減りやや落ち目の観光スポットとなってしまったようだ。だが、かつてのヒーローは中々味のある存在で、一応この上に昇れば市内の鳥瞰図が分る。
しかし、そこへアクセスする道路が狭いために観光バスで来ることが難しいせいか、土曜日なのに見学者が少ない様に思えた。ちょっともったいない存在だと感じた。全国にこういうもったいない施設が他にもたくさんあるのではないかと思う。
さて、日本とスペインが今年交流400周年を迎えたことを記念して今日本の皇太子がスペインを訪れておられる。特に皇太子が日本でもあまり知られていないセビリア市郊外コリア・デル・リオに滞在し、日本を意味する「ハポン」さんを名乗る人たちと交流したという珍しいニュースが報道されている。
400年前に支倉常長らが慶長遣欧使節団としてスペインを訪れた当時の使節団の内、7人前後が日本へ帰国しなかったと言われている。「ハポンさん」たちの中には、蒙古班のある人もいて、彼らは使節団の子孫ではないかとも言われている。彼らが日本人の名に誇りを持っているということも日本人にとっては嬉しいことである。
先週訪れた旧南洋群島のトラック島にも戦前から多くの日本人が居留して、現在も日系人の数が多く、立志伝中の人物、森小弁の血を引いた島民の数は数え上げることができないくらいである。そう言えば、かつてメキシコのアカプルコ海岸を訪れた時支倉使節団上陸の標識を見て何となく誇らしい気になったことを思い出した。使節団はヨーロッパを経てメキシコを回り帰国の途へ就いたのである。
ラテン系のスペインとメキシコ、いずれも親日的な国であるが、その原因にこうした支倉常長慶長遣欧使節団の影響があったというのも面白いと思っている。