2239.2013年6月30日(日) 富士山の世界遺産登録に思う。

 明日の山開きを前に、富士山の人気がうなぎ登りである。その最大の原因はつい1週間前に富士山が世界文化遺産に登録が決まったことにある。年間30万人もの登山者が頂上を極めるという。だが、最近俄かに「弾丸登山」という耳慣れない言葉が目立つようになった。それが目指す特異なところは、頂上でご来光を拝むや休憩も取らずに猛スピードでとんぼ返りして下山するという点である。関係者は無理をした弾丸登山者が遭難事故を起こすことを心配している。

 その富士山が世界遺産に登録されたわけだが、当初三保松原が除外されていた。それを覆して三保松原を審査委員に世界遺産の一部と認めさせたのは、これまでの日本の外交や折衝では考えられないような、選考委員への個人的に執拗な説得を試みた近藤誠一文化庁長官のロビー交渉力が陰の力として大きかった。富士山の世界遺産への登録を置き土産に近藤長官はまもなく退任する。三保松原周辺の観光業者からは、近藤長官に対する感謝の言葉が後から後から口を突いて出てくる。もう少しその職に留まって、他にも日本の伝統文化発信のために活躍して欲しい外交官である。

 実は、昨年11月「ペンの日」パーティに来賓として出席された近藤長官と挨拶を交わした折、名前が同じ「近藤」で、同じ「湘南高校」出身で、しかも高校歴史館内の「湘南大樹」の一葉としてお互いに経歴が紹介されているという共通項にお互いにその奇遇に驚いたものだ。後輩にこういう頼もしい人物がいることは心強い。近年では2年余もの長きに亘って文化庁長官を務めた人物はいないようだが、それも類稀なる外交能力と海外有力者との人脈が高く評価されたからだろう。

 その世界遺産だが、富士山が世界遺産に登録されたことによって、私の個人記録、訪問世界遺産が167ヶ所に増えたが、その他にもうひとつ登録された世界遺産があった。それはポルトガルの「コインブラ大学-アルタとソフィア」である。

 思い起こせば、2001年6月パリからポルトへ入り、その後イベリア半島を南下してコインブラ、コンディシャ・ア・ノヴァ、ファティマ、ナザレ、オビドス、リスボンへ下り、その翌日シントラ、ロカ岬を訪ねた思い出多いツアーだった。その時、コインブラ大学図書館を訪れてその蔵書にびっくりしたことが印象に残っている。コインブラは学問の都市として知られる。こういう言葉がある。「ポルトは働き、リスボンは楽しみ、コインブラは学ぶ」

 いずれにせよ、世界遺産は奥が深い。まだまだ未知の世界遺産を訪れてみたいと思っている。

2013年6月30日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com