明日公示となる参議院議員選挙で憲法改正問題、とりわけその入り口にある改憲の発議要件を緩める96条改正を巡る問題が注目されている。憲法改正を志向する改憲派には、占領下にアメリカから押し付けられたと信じ切っている現行憲法を、日本独自の憲法に改定、或いは新憲法を作ろうという願いが強い。だが、96条改正は真正面から本丸の憲法改正に挑むのではなく、隙を見てブラインドを突くようなあまりにも姑息なアプローチではないか。そして、アメリカから押し付けられた憲法との言い分は、正しい認識ではなく、むしろ誤った理解、分析ではないかとの疑問がある。
駒沢大学公開講座で清田義昭講師から毎週秀作テレビ番組のビデオを鑑賞させていただいているが、今日観せてもらったのは、90分の長編、NHK・ETV特集「焼け跡から生まれた憲法草案」という中々骨のある作品だった。2007年の作品である。1~2年前に見せてもらった民放テレビ製作のビデオも同じような主旨の佳作だったが、今日のそれは草案作成後の当事者同士のやりとりを追求して、詳しい事実の真相を追い、さらに当事者の証言に裏づけされて深みのあるストーリーが作り上げられていた。
終戦の年に憲法研究会が、その当時ひとかどの良識ある硬骨漢の学者を集めた。メンバーの7人はリーダーである社会政策の東大教授・高野岩三郎を始め、弟子で広島大学学長になった元社会党代議士・森戸辰男、室伏高信、岩淵辰雄、馬場恒吾、杉森孝三郎、そして当時41歳の憲法学者・鈴木安蔵で、昭和20年12月26日最終草案を作成した。GHQからは民主的で受け入れられると概ね了解を得たが、GHQは当初松本焏治を通して吉田茂外相へ日本政府の新憲法案の作成を依頼してもいた。
しかし、それは天皇制の温存を図ったものであると見做されGHQから了解を得られず、最終的には民間の憲法研究会草案が、若干の修正を加えて日本憲法となった。その過程で鈴木安蔵が、明治憲法には採用されなかったが、「自由民権」を発表した植木枝盛私案の精神を採り入れようとしたことや、戦後鈴木が相模湾が望める「国府津館」に引き篭って草案作成に努めていたことを、「国府津館」経営者で何度かお会いしたことがある、高校先輩の箕島清夫さんが語っていたことが強く印象に残っている。
この終戦直後に真剣に新憲法作成のために知恵を絞っていた、リベラルな学者の苦労と憲法制定の経緯を見ると誰が考えても、現行憲法はGHQのアドバイスこそあったが、アメリカ合衆国憲法、ワイマール憲法、その他各国の民主的な憲法を参考にして、民間の憲法研究会7人衆が作成したものであることは明白である。
それにしてもこれだけ充分な資料と証拠があるのに、なぜ改憲派は現行日本憲法をアメリカが押し付けた憲法だと強弁しようというのだろうか。
実に内容の濃い、説得力のあるビデオだった。改憲論争をする前に、もう一度多くの国民が観る必要のある秀逸な作品だと感じた。