遺産相続に関する嫡出子と非嫡出子の間の抗争が裁判で争われている。ことは単なる義兄弟間の問題でなく、憲法と民法に関わる問題となっている。昨日の最高裁(裁判長の竹崎博允最高裁長官は近くの官舎に居住)では当事者から弁論を聞いた。
そもそもは結婚していない男女間の子(婚外子)の遺産相続の取り分は、結婚した男女の子(婚内子)の半分とする民法の規定が、「法の下の平等」を定めた憲法に違反するかどうかが争われたものである。
結論的には、9月に「違憲」と判断される公算が大きいとされている。実は、この問題は1898年(明治31年)公布の民法規定で婚外子の相続遺産を婚内子の2分の1と定めたが、1947年の改正民法でもそのまま引き継がれた。20年前ぐらいから頻繁に裁判が起こされたが、その都度僅差の判断で現行のまま今日に至った。
それが今どうしてこの問題が大きく取り上げられるようになったのか。国際的に日本の民法規定が不平等と見て、1995年以来国連がわが国に対して差別解消を求める勧告がすでに10回も出されていることである。
ひとつには、民法の規定が平等を謳った憲法に違反していないか、法律が差別を容認しているという点にある。敢えて言えば、生まれた子どもに差別をするのは可笑しいという考えである。これは言葉通り解釈すれば、確かに平等に反している。つまり違憲ではないかと思う。
二つ目には、正式な結婚をして嫡出子として法律的に家庭の一員となった子どもと、法律的に結婚せず非嫡出子を同じ視点で平等として扱うことにより、家族観と倫理感、そして家族自体が崩壊するのではないかとの懸念がある。
近年シングルマザーとか、未婚の母とか、かつての家族制度や倫理感とは異なった道を歩む若者が増えて、必ずしも以前の法律で良いとは思わないが、平等を主張する以上は、家族として届けを出さずに生活することが社会の基盤を損なう恐れがあるということに自覚を持つこと、そして自分たちの子どもが差別感や劣等感を持たないよう愛情を持って間違ってはいないとする自らの立場を伝える努力を惜しんではならないと思う。
さて、昨日妻の誕生日を忘れた罪滅ぼしに夕方になってハイアット・リージェンシー東京へ出かけ、高級感のあるレストランで美味いディナーをともにした。