一昨日ケニアの港町モンバサで建設会社の日本人が殺害された。懐かしく感じた都市名だったが、実情を知ってちょっとがっかりしている。
このモンバサにはいろいろな意味で思い出がある。1968年1月首都ナイロビを訪れた時、他にどこへ行こうかと考えた。
最初に1泊サファリツアーへ参加しようと考えた。草原を象の群れが轟音を響かせて走り去る勇壮な姿に圧倒されたり、アメリカ人の青年とルームをシェアしたバンガローでは、月光の下に窓際まで近寄ってきたシマウマの大群に驚いたり、ファンタジックで楽しい思い出が沢山ある。
それからタンザニアへ入国してキリマンジャロ山麓へ行ってみようと思いつき、ナイロビから夜行列車でモンバサに翌朝着いた。しかし、これは一旦取得したタンザニアの入国ビザは私の旅券が条件不充足の理由で、すぐキャンセルされてしまい夢は叶わなかった。翌日路線バスに乗ってナイロビまで帰ってきた。この時幻のビザを取得したのが、モンバサだった。
駅からメイン・ストリートを歩いて通りがかりのホテルに何の気なしに宿を取り市内を歩き回った。涼しげな夕方になって灯台方面へ歩いて行ったところ、インド人父娘が近づいてきて、灯台へ行くのならあの辺りに怪しげな男が2人入って行ったはずだから近づかない方が良いと注意された。そんな危険な感じはしなかったが、土地の人から親切にアドバイスされたので、灯台へ行くのを思い留まった。あの時薄暗い灯台方面へ行っていたら、危険な目に遭っていたかも知れない。親切な人もいるものである。
それにしてもモンバサは近年殺傷事件も多発して随分危険なところだとメディアでは報道しているが、あの当時市内の空気にはそんな危険な雰囲気はあまり感じられなかった。テレビの画像ではモンバサには部分的には記憶があるが、かつて私が訪れたころの港町の面影は見られない。ケニヤは独立の父・ケニヤッタ大統領時代には国全体が落ち着いているという印象だったが、国の経済発展とともにがさつな感じが増してきたように見える。
モンバサで訪れたことがあるフォート・ジーザズが昨年世界遺産に登録され、モンバサの良い思い出を突然甦らせてくれたが、今度は逆に悪い印象を与えられた。折角の楽しい印象が潰れるのは何ともがっかりである。