2257.2013年7月18日(木) 恩師・飯田鼎先生を想う。

 6月に赤松さんの上野浅草フィルハーモニー定期演奏会の後、飯田ゼミ関係者で夕食会を行った際、私が出しゃばって次のような提案をした。

 昨秋私が不束ながら編集委員長を務め、発行した飯田先生の追悼文集を配布した飯田会を最後として一応飯田会を解散することになったが、全会員に今年5月先生の3回忌にお花を届けたこと、会の剰余金を一定期間毎年ご命日に供花を送ること、等々を知らせることが必要であると説明して了解をいただいた。今月に入ってこれらの点について説明した手紙を私の名前で全会員に郵送した。

 それに対してここ数日多くの会員から感謝の手紙をいただいた。やはりそうすべきであると考えてくれた会員が多いようだ。偶々行きがかり上私が犬馬の労を取った形になったが、予想以上に喜んでいただけて本当に良かったと思っている。後は今後しばらくご命日に供花を送るためにきちんとフォローすることと、会員からの問い合わせに対する対応をすることで、飯田会の作業は終わりにしたいと考えている。

 いただいた手紙の中にも書かれていたが、何と言ってもわれわれゼミナリストにとって飯田鼎先生という素晴らしい恩師に巡りあえたことは最大の幸せだったと思う。60年安保闘争という激動の中で送った学生生活は間違いなく充実したものになった。ゼミではゼミナール委員を務めた割りには、あまりお役に立てなかったことを反省しているが、それでも先生は許してくださるのではないかと勝手に考えている。そのうえ、卒業後も度々先生のお宅をお訪ねしては随分ご指導していただいた。誰もが尊敬する素晴らしい先生の下で三田の2年間を過ごして、良い思い出を残すことができた。充実して幸せな学生時代を過ごすことができたということは断言できる。それは取りも直さず飯田先生のお蔭である。心より感謝している。

2013年7月18日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com