民主化で経済制裁が解除されてから外国からの投資が急速に増えているビルマで、民族問題が世界の人権家から警戒の目で注視されている。日本の企業も続々とビルマへ進出を計画している。私がよく訪れていたころのビルマには、日本企業は三井物産以外ほとんどなかったように思う。それが今では乗り遅れてはいけないとばかり、大手企業から中小企業までまだ整備されていないビルマ市場への食い込み戦略を練っている。
そんなビルマの経済と社会であるが、冒頭に指摘したように温厚なビルマ民族らしからぬ騒動が持ち上がっている。ビルマではビルマ族が全人口の6~7割を占めるが、残りはシャン、カレン、モン族などを含めて135程度の民族がいる。問題は彼らのほとんどは仏教徒だが、インド国境に近いラカイン州にはインドから越境したイスラム系難民が多く、先住の仏教徒と難民イスラム教徒との間でトラブルが絶えないことである。
驚いたのは、今朝の朝日新聞に週刊誌‘TIME’7月1日号に反イスラム・ミャンマー過激仏教僧ウィラトゥ師を表紙絵に掲げ、ウィラトゥ師の反イスラム教的言動を余すところなく紹介していると書かれていたことである。
確かに民族問題がビルマの民主化に新たな火種を投じていることは、アウン・スーチーさんがこの問題に解決策を示さないとして一部批判されたほどで、新生ビルマにとって今や極めて微妙な問題になりつつある。
時代は少しずつ変わりつつあるが、ビルマはそのスピードが極めて遅く、かつて度々ビルマを訪れ、そのビルマ的な古さが気に入っていた者にとっては、無責任かも知れないがビルマの急速な近代化はあまり歓迎したくないところである。
ただ、初めてビルマを訪れた1972年にラカイン州アキャブ海岸で、昭和17年その沖合いで被弾して反転墜落し名誉の戦死をされた加藤隼戦闘隊長・加藤建夫少将を始め加藤部隊全戦没者の慰霊祭を挙行した際、周囲を大勢のインド系ビルマ人に取り囲まれたが、彼らが今話題のロヒンギャ族であることをその時ガイドから聞いたことがある。
あれから40年以上を経て今ビルマは大きく変わりつつあるが、元々温和なビルマ人が争いを起こすとは中々想像しがたい。しかし、彼ら自身に原因がなくとも彼らを支える別の人々の思惑次第ではそうは行かなくなってしまうものだ。これから変化するであろうビルマ情勢から目を離さず、見守って行きたい。せめてビルマにいる友人たちがトラブルに巻き込まれないよう願うばかりである。