戦後68年目の終戦記念日である。天皇・皇后両陛下ご臨席の下に日本武道館で全国戦没者追悼式が行われた。年々戦没者遺族の出席が少なくなっている。
今日NHKが発表したアンケート調査によると今日が終戦記念日であることを知らない人が回答者の33%と知り愕然とした。「最早戦後ではない」とか、「戦後は遠くなりにけり」という言葉が一世を風靡してから時間が経つが、それにしてもこの無関心というか、無頓着ぶりには呆れるばかりである。街頭インタビューで40代の女性が、今日が終戦記念日であることは知らなかったと応えたのには驚いた。この女性は生まれてこの方40年以上も戦争がいつ終わったのかを知らなかったというのだろうか。
やはり個人が常識として知る以上に大事な区切りは史実として学校でしっかり教えるべきであろう。
日中、日韓関係が悪化している中で注目されていた安倍首相の靖国神社参拝が行われなかったことは、中韓両国への刺激を和らげたようだった。しかし、元々靖国神社参拝を願い、前回首相在任時に靖国参拝しなかったことを強く後悔した安倍首相であれば、靖国神社へ公人として参拝したい気持ちがあったことは間違いない。そのため、姑息なやり方ではあるが、代理人に私人として玉串を奉奠することにした。ただし、これからも靖国神社では秋の例大祭があるので、この時参拝するのかどうか、まだ結論を先送りしている。
内閣の要人が靖国神社へ参拝することが今以上に外交問題に発展する可能性があることから、今回は安倍首相、麻生副総理、菅官房長官、岸田外相ら主要閣僚は参拝しなかったが、古屋圭司・国家公安委員長、新藤義孝・総務相、稲田朋美・行政改革担当相を始め、102人の国会議員がぞろぞろと靖国参拝を実行した。昨年よりかなり多くなっている。彼らの言い分はまったく分らないというわけでもない。だが、戦時中迷惑をかけた中国や韓国が最も忌み嫌っている言動を、自分たちの論理だけを主張し、他国からとやかく言われる筋合いではないと突っぱねる論理思考は些か傲慢であり、責任ある立場にある者としては狭量すぎやしないか。それなりの理由はあるにせよ、外国からあまり攻撃を受けないような穏やかな参拝の方法を考えてみることも必要ではないだろうか。
特に遠藤氏と稲田氏は昨年反対を押し切って竹島に上陸しようとして韓国側に拒絶された破廉恥な前科がある。国にために亡くなられた戦没者に感謝し、尊崇の念を表すのに、なぜ今日、靖国でなければいけないのか。中韓両国の風当たりが強いことを考えれば、もう少し賢明な行動をすべきではないか。
私見であるが、今日靖国神社に参拝した要人はあまりにも、今日8月15日という日と靖国神社に拘りすぎているのではないかと思う。それほど戦没者に尊崇の念を捧げたいというなら、フレクシブルに日時を変更したり、場所を代えるなりして靖国参拝を行うとか、或いは千鳥が淵墓苑にお参りすることもできる。海外なら中部太平洋、東南アジア、シベリアなどに戦没者を祀った慰霊碑がいくらでもある。そこなら誰に気兼ねすることもなく、いつでもお参りすることができる。少しサイドステップして冷静に考えてみることが必要だ。彼らは今日靖国神社に参拝すること自体が目標になっていて、それが右寄りの選挙民から支援を得られるとか、国会内で活動できない憂さ晴らしに自分の存在感をアピールしようとの思惑があるから拘り続けているのではないかと、つい穿った見方をしてしまう。
しかし、政治家は騒ぎを起こすのではなく、騒ぎを収める人間であるべきであると肝に銘じてほしい。
さて、エジプトも大変なことになっている。モルシ前大統領を排除した7月3日以来、暫定政府が政権を握っていたが、ついに治安部隊がモルシ前大統領支持派のデモ隊を強制排除に乗り出し、たった一日で525人が死亡し、3700人が負傷したと伝えられている。欧米を始め、世界中からエジプト暫定政府に対する厳しい非難の声が上がっている。これも看過できない。