6131.2024年2月25日(日) 手紙も年賀状も書かない時代に

 今年いただいた年賀状に今改めて目を通していると年賀状の送り手の気持ちと現状が分かり、思わず心がほころんで来る。その中で高齢になったので来年以降年賀状を辞退したいと書かれた年賀状が結構多いのに、ついに来たかという感慨と同時に時代を感じる。偶々長年交誼をいただいている弁護士さんが、その件についてご自分なりの考えを述べられているのを知り、やはりこういう方もおられると意を強くした次第である。弁護士さんによると70代過ぎの方から今年で賀状終いと書かれた終活の一環だろうと思える賀状をいただくことが多くなったそうである。驚くのは、企業からエコ(環境保護)を目的に賀状廃止のハガキが届いたという。「虚礼廃止」の意味もある。しかし、この会社は今まで虚礼で賀状を出していたことを自白して恥ずかしくないのかと思わず差出人の社長の名前を読み返したそうである。そのお気持ちはよく分かるし、年賀状は虚礼だったのかと考えると唖然とする。そして、この弁護士さんは、暑中見舞いと賀状くらいしか、存在することを知らせる名目がないため、敢えて賀状終いの方にも賀状を送っておられるそうである。

 私もこの弁護士さんのお気持ちがよく分かる。私にも来年以降は高齢のため辞退したいとプリント、或いは添え書きをされた年賀状を大分いただいた。恐らく10枚以上もあると思う。ただ、それらの年賀状の送り手は私と年齢は近いが、私より若い人たちである。弁護士さんの言われるように、せめて1年に1,2度は自分の安否を知人に伝え、相手からも教えてもらってともに息災を喜ぶことは必要ではないかと思っている。企業が虚礼廃止の一環として考えていたなんて論外であるが、弁護士さんが指摘されたように、その企業が年賀状の意味や主旨をよく理解していないことに何とも情けなく思っている。

 最近の傾向として普段からあまり本を読まず、手紙を書かない人が増えたことが、年賀状辞退の背景として考えられる。それに小中学生時に両親からはもちろん先生からきちんと「年賀状」について学んでいなかったことが大きいと思う。小学5年生時に内房の勝山町から千葉市内の幕張小へ転校したが、担任の熱血漢の先生はすべての教科で生徒に熱心に、それこそ痒いところに手が届くように丁寧に教えてくれた。年賀状についても版画の年賀状を作成するよう彫刻刀で版画の製作から、その版画で年賀状を仕上げ、年賀状を書く心構えのようなものを丁寧に手取り足取り教えてくれたものだ。年賀状に魂が籠っていたように思う。

 今考えてみて私自身年賀状に拘るのは、そういう小学校恩師の情熱に打たれた一面もあると思っている。もう嫌だというならこれ以上押し付けることはしないが、とても寂しく残念に思っている。

 これからの若い人たちの中には、普段から本をあまり読まず、手紙を書かず、スマホに夢中になる人が多くなるだろう。彼らが大人になった時、或いは人生を終える前に頭の中には思考力というインテリジェンスがなくなっているのではないかと心配している。

2024年2月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com