3303.2016年5月29日(日) 山田耕筰が小学校の先輩だったとは!

 毎年小学校時代のクラス会をアレンジしてくれる友人が、今年も彼の自宅近くの柏市内の中華レストランでお膳立てしてくれた。有難いことである。幕張町立(現在は千葉市立)幕張小学校を卒業してから65年が経ち、恩師も亡くなられて今年33回忌を迎えられることになる。物故された友だちも多く、クラス会参加者も時の経過とともに減少の一途を辿っている。寂しさは募るばかりだが、こればかりはどうしようもない。その意味でも会える間は、何とかやりくりして久しぶりの顔合わせを楽しみにしている。

 今日集まったのは、男性は会をアレンジしてくれた幹事と私の2人だけで、女性は7名だった。女性の1人が1冊の小冊子を持参してくれた。我々が学んだ幕張小学校の創立120周年記念誌で何と25年前に発行されたものだった。それによると母校は明治4(1871)年に創立され、今年145周年を迎えることになる。明治4年と言えば、廃藩置県が施行された時ではないか。今では鉄筋4階建ての校舎に建て替えられてしまったようだが、私が転入した当時は、2階建てのくすんだ木造校舎だった。だが、歴史的に見ても今では千葉県内で押しも押されもせぬ伝統校と言えるのではないだろうか。

 町内も私が房州から引っ越して来た当時は、くすんだ田舎町という印象だったが、今では幕張メッセとか、マリーン・スタジアムなどが建設され、東京に近い通勤圏として人気の住宅都市となった。小冊子を見ると懐かしく、さっと目を通したに過ぎなかったが、それを通してもうひとつあっと驚く事実を知った。

 それは作曲家山田耕筰がほんの短い期間ではあったが、我々が学んだ母校の先輩だったということが分かったことである。耕筰は明治29年4月に、都内の私立啓蒙小から幕張尋常小学校高等科1年(現在の小5)に転入し、6月まで在学していたという。しかも♪からたちの花♪のお宅の傍を通って幕張小へ通学し、後年そのイメージを北原白秋が汲み取って作詞したと書かれている。

 それにしても奇遇というべきだろうか。母校湘南高校校歌も山田耕筰が作曲し、これに北原白秋が詞を書いたものである。更に奇縁は今から5年後に幕張小学校は創立150周年を迎え、湘南高校は創立100周年の祝賀すべき年を迎えることである。偶然というには、あまりにも浅からぬ因縁があるようだ。

 しかし、今日は図らずも誇らしく、おめでたいことを知って良かった。教えてくれた同級生に感謝である。我々OBも山田耕筰先輩を誇りに思い、その他大勢の同窓生に対しても恥じぬ言動を行うことを誓いたい。

2016年5月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com