2293.2013年8月23日(金) 教育制度は拙速に変更すべきではない。

 東京都教育委員会が現在12年の「6・3・3年制」カリキュラムを「4・4・4年制」に区切った新制度に変更したうえで導入を検討している。早ければ2017年度に都立小中高一貫校の開校を目指すという。それにしても随分拙速ではないか。ことはわが国の教育の根幹に関わることである。日本の教育制度がさらに複線化して益々複雑になるということでもある。

 少なくともわが国には、文部行政を預かる中央官庁として文部科学省が「君臨」する。にも拘わらず、首都とは言え、1地方自治体である東京都の地方行政の理念と制度が、それだって都民から同意を得ていないまま国を差し置いて先行実施されようとしている。

 これまでも時代に合った教育行政と制度について、政府の教育再生実行会議を始め、有識者会議などがしばしば提言してきた。しかし、新カリキュラムは義務教育とその後の教育を跨いで改革しようという以上、義務教育を超えた教育期間にかかる税金の使い方の問題も派生するので、もっと時間をかけて広範に国民的見地から検討されるべきではないか。東京都の制度改革はあまりにも拙速に過ぎる。

 この東京都の動きに対して下村博文・文科相は「時代が変化し、こどもの発達段階も違う。東京都の取り組みは参考のひとつになる」と傍観者のようなコメントを述べている。まるで他人事なのである。自ら自分の所管事項に手をつけようとしない。文科省担当者も「自治体が地域ニーズに応じて柔軟な教育課程を作ることは多様な人材育成につながる」と歓迎しているようなコメントを述べている。上司が上司なら部下も部下である。これでは文科省の主体性がまったく発揮されないし、自ら国の文部行政をリードしていく気構えが感じられない。文科省の存在意義がないのではないかと疑われても弁解の余地があるまい。

 本質的な点について言及するなら、カリキュラムの改革のような大仕事は、一地方自治体だけに任せるべき事柄ではないように思う。例えば、「4・4・4年制」に組み替える根拠も示されておらず、何のためにカリキュラムを変更するのか、その意図がはっきりしない。単に国民に対して最初の4年間は基礎学力を身につける期間であると一方的に言われても、すんなり受け入れる気にはなるまい。現在の6年間ではなぜいけないのか、という肝心な点がまったく説明されていない。少なくとも戦前日本がドイツから採り入れ、今もドイツで根付いている教育制度を参考に採り入れた「グラン・シューレ」という4年制基礎学校制度や、アメリカ・オクラホマ州の生徒の発育を考慮した4年制小学校の制度を、参考にして4年制を採り入れるという事情を分りやすく説明するというのなら理解できる。しかし、ただ闇雲に語呂合わせと考えたのではあるまいが、そう受け取られかねない「4・4・4年制」への変更は到底納得できるものではない。先ず以って国民に充分説明、啓発し、国民の理解を得るべきが先決である。

 そうでなくても、最近の政治家の言動は危なっかしくて信頼できないというのが、一国民としての率直な感想である。政治家の「無責任」「無思慮」ぶりが、端無くも教育制度の変更の過程で表れたとでも申すべきか。

2013年8月23日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com