日経新聞夕刊の「あすへの話題」というコラムに各界の著名人がエッセイを綴っているが、数日前「子孫に美観を」と題して藤崎一郎・前駐米大使がなるほどと相づちを打つような洒脱な文を書いていた。外交官らしく長い海外勤務から戻ると日本の誇れる美点に感心するのだそうだ。それはダジャレのようだが「アカセキレイ」と呼んでいるそうで、「安全」「確実」「清潔」「規律」「礼節」等、それぞれの頭文字をつけたモットーだそうだ。日本人の誇るべき資質と性格を表しているのだが、果たして最近はどうだろうか。
「安全」は福島第一原発事故以来、有名無実化した。「規律」に至っては国を代表する国会議員の日頃の行動を注意して見てみれば、望む方が無理だということは明らかである。「礼節」なぞは、最近の若者の無作法な言動や無軌道な行動を考えると風前の灯である。
藤崎氏は街の景観についても独自の考えを持っているようだ。画一的ではなく、個性的な街づくりを提唱し街づくりには一定の調和が必要だと提言している。流石に優秀な外交官だけあって、都市を世界的な美的視点から見ている。
さて、寡聞にして存じ上げなかったが、民俗学者の谷川健一氏が昨日92歳で亡くなられた。氏は「風土記日本」や「日本残酷物語」などを手がけた後、柳田国男、折口信夫らの民族学を独自に発展させた「谷川民俗学」を打ち立てたとされていた。
1981年に「日本地名研究所」を設立したのは、市町村合併などで失われゆく由緒ある地名が消滅していくことに危機感を感じて警鐘を鳴らすためだった。実際近年の地名変更には、歴史、伝統、文化などへの配慮がなされず、簡単であれば佳しとする傾向が見える。例えば、地名にカナ文字を安易に使用するのもいかがかと思うし、合併自治体の新名称でも双方に折り合いをつけたような、それぞれの旧名を1字ずつ採用して意味不明の都市になったり、まったくセンスも工夫も見られない。
「さいたま市」は、どうして「埼玉市」ではダメだったのか。「何でも合併」時代にひとつになった市町村名には炊飯物が多い。例えば、平成15年6町村が合併して誕生した「南アルプス市」は、南アルプス山麓の市だから宣伝上そう名づけたのだろうが、南アルプスとは通称赤石山脈と呼ぶ連峰で山梨県韮崎市西部から静岡県島田市北部まで連なる大動脈を指していることを考えれば、現在の南アルプス市が全南アルプスを領有しているが如き名称の付け方には、文句のひとつも言いたくなる。平成16年に生まれた長野県「東御市」の場合は、「北御牧村」と「東部町」からただ1文字いただいただけの新市名である。更に神経を疑いたくなるのは、平成18年にできた茨城県「小美玉市」のケースで、市名が中々決まらず最後に合併する「小川町」「美野里町」「玉里町」のその最初の文字を取ってくっつけただけという無神経、かつ軽薄ぶりである。
民間会社でも次元の低い例はある。つい最近東武鉄道の由緒のある駅名「業平橋」を「東京スカイツリー前」に変更した例などは史上最悪の駅名変更であろう。さぞや在原業平も泉下で嘆いていることだろう。
わが国の場合、近年名前をつけることに関しては、自治体名にせよ、都市名、人名にせよ、無意味でセンスが感じられなくなったような気がする。名前だけならまだましだと無理に言い聞かせるとするか。
果たして谷川氏は泉下でどう思っているだろうか。