台風26号で大きな被害を受けた伊豆大島では、近づく台風27号、28号の襲来に備えて高齢者や身体の不自由な人を島の外へ避難させ始めた。昭和61年の三原山噴火で全島民が避難して以来の大掛かりな非常事態である。避難者の言葉を聞いていると、生まれ育った島を離れる無念さと寂しさを訴えている。その大島では今日までに30人の犠牲者の遺体が見つかった。まだ身元不明者がいるので、犠牲者の数は今後も増える。
さて、21日の国連総会で漸く日本政府は核兵器の不使用を訴える共同声明に賛同した。世界で唯一の被爆国として反原発、反核行動にリーダーシップを発揮することを期待されながら、昨年5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議で初めて発表された時以来、今度は4度目の提案だった。125カ国が賛同した声明に唯一の被爆国が賛同しないという摩訶不思議には、世界で核を保有しない国から疑問に思われ、反核運動のリーダーたるべき立場を放棄していると非難すら浴びていた。ここに来て漸く取るべき立場を取ることになったが、アメリカの核の傘に入る日本の防衛政策がこの声明に素直にYESと言わせなかった理由である。アメリカとは水面下で「核の傘」に頼る安全保障政策には変更はないとネゴを交わしたようだ。これで少しは国際社会において日本の反核の姿勢を訴えることになるようだ。やれやれである。
ところで、今日駒沢大学公開講座の清田義昭講師の授業で拝見した「空白の初期被爆」と題する福島第一原発事故放射能汚染を扱ったNHKスペシャル・ドキュメントには目を見開かせられた。昨秋放映したそうだが、残念ながら観ていなかった。
ドキュメントは将来的に発ガンの原因となる「ヨウ素131」という放射性物質は、仮に人体に浴びても直ぐ消滅してしまうので、時間が経過すると発見できない。福島第一原発から強い風によって最もその影響を受けたであろう浪江町の町民の苦悩とその発見について、手弁当で解明に努め、「ヨウ素131」の被爆者を探り出し検査を受けさせる専門家たちの真摯な姿を伝えていた。良く知られたセシウムとあまり知られていない「ヨウ素131」を調べて、その被爆セシウムとの比率から消えた「ヨウ素131」の被爆量を算出するまでの過程をよく伝えていた。こういう地道な研究から被爆者対策を生み出すひたむしさには感動すら憶えた。こういう警告的、かつ教訓的なドキュメンタリーは多くの人に観てもらいたいと思った。