先日小泉純一郎元首相が原発反対の声を上げたのをきっかけに反対派、賛成派がちょっと蠢き出した。普通の政治家が声を大にして叫んでもなかなか世間は見向きもしてくれないようだが、流石に存在感のある元政治家の小泉氏にはメディアが挙って飛びついた。
しかも一昨日は社民党の新しい党首・吉田忠智氏と会談して、「脱原発」の考えで一致したと報道された。小泉氏の脱原発はいまでは信念になったかの如き、強い主張である。自民党代議士、総理大臣当時は原発賛成だった。それは、原発の危険性を知らなかったことと使用済み核燃料の処分に問題がないと信じていたからだという。それが核のゴミ処理場がないことが判って、このまま処分できずにゴミが溜まる一方で、このままにしては身動きが取れなくなり放射能に冒される危険性を考えたからである。核のゴミこそ原発の最大の欠点と言って憚らない。これに対して原発再稼動推進派の安倍首相は、師匠である小泉氏を無責任と言い、現状では火力発電に頼って石油の輸入による経費が莫大となり、経済的に大きな負担となって経済発展を阻害するとまで強調している。だが、これでは安倍首相の論旨は安全より経済重視と言える。また、核のゴミ処理をどうするのかという疑問には答えていない。核のゴミ処理はいまだに先行きが見えない。ここは一旦立ち止まって、将来の日本のためにはどちらが良いのかを国民世論として戦わせるぐらいの決断をすべきである。
他の自民党議員もかつての自党総裁だった小泉氏に対して「変わり者」とか、「過去の人」などと冷やかすばかりで、正面切って原発反対論を論理的に論破することをさけている。安倍一派は原発反対の意見をただ批判するだけでなく、危険性への対応も含めて原発再稼動の根拠をきちんと説明し、自分は原発の優位性をどう考えているかをはっきり打ち出すべきではないだろうか。
折りも折り、昨日今年2度目のトルコ訪問に出かけた首相は、トルコ政府からトルコ国内の原発建設を受注したと伝えられた。自分の頭のハエも追えないのに、よくもまぁ他所へ手を出すものだ。こんなことは、世界中が見ている。原発反対の外国からはどう見られるか、大いに気になる。
そもそも安倍首相は地下鉄工事が日本の技術、大成建設の技術力により完成したことで、開通式に招待されたと理解していたところ、それも理由ではあるが、敵は本能寺にあったという透かし絵物語である。
そう言えばトルコの地下鉄とは、ヨーロッパとアジアを結ぶボスポラス海峡下を潜り抜けるロマン溢れる地下鉄である。見たところその立派な鉄道設備もさることながら、この地下鉄敷設がいまから150年前の人たちが願っていた、まさに夢だったということである。ボスポラス大橋は車で渡ったので、今度訪れた時には、ぜひこの地下鉄に乗ってみたいものである。