2394.2013年12月2日(月) 剥離骨折に続き、今度は関節炎に罹る。

 昨晩遅くなってから左膝が急に痛み出した。先日転倒してすりむいた個所の近くで、気休めにパテックスを貼ったが夜中になって痛み出し、目覚めてしまった。痛いままうつらうつらして今朝起きても痛みが消えない。階段の昇り降りの際にも一歩ずつやっと歩く情けない状態である。

 そこで先週の剥離骨折の時と同じように松本整形外科医で診てもらうことにした。同じようにレントゲン写真を2枚撮ってもらった挙句、診断は関節炎ということになった。松本先生のお話では、「温めない」「動かさない」「使わない」に徹することだという。つまり、風呂に入らず、ウォーキングをせず、重い荷物も持たないことが大切だそうだ。結局入浴しないで外出をせず、箸より重い物を持たないという貧乏侍のような生活をしろということである。2週間前に右手を剥離骨折し、いままた左膝の関節炎とは、情けない限りで93歳で亡くなるまで割合健康だった父親に合わせる顔もない。

 しかし、今更嘆いても仕方がない。養生して一日も早く元通りになることが大切である。それにしても今年は年末近くなってついていないことが多い。

 案の定、このところ年賀欠礼の葉書をいただくことが多いが、今日いただいた2通は特に辛い。いずれも故人の奥様からいただいたものだが、良く知っていた友人なので少々堪える。

 1人は京都上桂中学時代の友人で、宇治市で八百屋卸業を手広くやっていてまだ元気だと思っていた。宇治市と言えば、治安維持法に反対して凶刀に斃れた社会主義者「山宣」こと、山本宣治の出身地であることが、偶然にも今朝の朝日新聞「天声人語」に紹介されていた。山宣については、学生時代に社会主義者を学んでいて幸徳秋水、河上肇、片山潜、山川均らとともに関心を持った。いま問題の特定秘密保護法案が、その治安維持法と比べられている。

 学校の帰りにその友人と松尾山で猪に追いかけられ逃げ回ったこともある。中学を出て八百屋の丁稚として修行し、二十歳前に家庭と店を構えた。自力で独立した大した奴だった。3~4年前に中学の同期会で会ったのが最後となった。亡くなった父が海外出張中に彼に絵葉書を送ったほど父も気に入っていた友だった。

 もうひとりはかつて勤めていた会社の腕のいいセールスマンだった。頑張って良い顧客を沢山抱えていた。ゼミの仲間と山形へ旅行した時世話をしてくれたのも彼だった。今年の春会社へ立ち寄った時唐突に相談を持ちかけられ、何とか彼が望むように働きかけてやった。それで随分感謝されたが、これは明らかに会社のやり方が間違っていた。

 それぞれいくつも思い出があるが、こうして親しかった昔の知り合いが1人去り、2人去って行くのだということを最近特に実感として感じている。その意味でも私の友人たちからも私が黄泉の国へ旅立ったとして惜しまれるというようなことのないよう、自分の健康には充分留意する責任があることを痛感させられた「関節炎」である。

 2人の友人のご冥福をお祈りしたい。

2013年12月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com