いまかかりきっている旧トラック島大酋長に関するノン・フィクションもそろそろ大詰めであるが、新たな事実がいくつか見つかったことから、改めて推敲に時間を割かれている。
その中で旧トラック島大酋長・相澤進さんが湘南中出身だという事実関係は、真偽を取り混ぜた噂がずっと尾を引いているが、先日大酋長の父親の実家を継いでいるご当主から、湘南の傍の学校だったらしいと伺ったばかりである。
それが、先日湘南東京有志会のパーティ席上で昭和20年に旧制湘南中4年で卒業した堀江昭さんから、その当時湘南校舎内にもうひとつ別の学校があったということを伺って、昨日堀江さんに電話で知る限りのことをお尋ねした。
「湘南創立90周年記念」誌に依れば、県指令により昭和14年に湘南中校舎内に湘陽中という別の私立(財団法人)の中学校が開設され、湘南中赤木校長が湘陽中の校長を兼任された。初年度生徒数は46名だった。この湘陽中は終戦直前の昭和20年3月に廃止となったが、大酋長は昭和17年に中学校入学と考えられるので、湘南中ではなく、この私立湘陽中に入学、在学した可能性があると推察することができる。
言動に謎の多い大酋長であるが、生前本人が湘南出身と語っておられた、その湘南に大酋長の記録が一切なく、あれやこれや憶測していたところである。そんな中でこの湘陽中説が一番可能性としては考えられるのではないかと思っている。それにしても情報整理に手間がかかる。まだまだ結論を出すわけには行かず、推敲も屋上屋を重ねるようなものだが、詰めをきちんとして大酋長のノン・フィクションを興味深いものに仕上げたいと思っている。