いまノン・フィクション作品の追い込みに気持ちを集中している積りだが、土壇場へ来て中々思うように行かない。新しい事実がいくつも出てくるのでそれを無理に解明しようとするから余計難しくなる。左膝の関節炎もあって医師からはウォーキングを禁じられ、外出ができない。どうもストレスが溜まりそうだ。
新しい事実の中で、先日偶々知った母校湘南高の戦時中の制度が現在の感覚では理解しにくかった。昭和14年に旧制湘南中の内部に、私立の湘陽中という1クラスだけの学校が設立された。同じ校舎内に校長も同じ、教師も同じ、教室も同じ、授業も同じで湘南中の1学年にただ1組だけ湘陽と称する別の中学校があり、それが終戦直前の昭和20年3月に廃止されるまでの6年間営々と維持されていた。卒業生を出したのは、昭和19、20年だけだった。軍部の幹部の子息が湘南中の入学試験に失敗して強硬に入学を求めた結果、無理難題が通り別の中学として創設されたらしい。だが、この制度が何と神奈川県の県令によって創設されたというから、今日の常識ではとても考えられないほどおかしな学校制度だった。これにノン・フィクションの主人公が多少からむので、中々すっきりしなかったが、漸く割り切って書き続けている。
その他に戦時中連合艦隊司令長官だった南雲忠一中将の子息4人が、いずれも湘南OBで長男が卒業後海兵に進み、フィリピン沖合いで戦死されたことや、4男が昭和24年野球部の甲子園初優勝時にベンチ入りできなかったが、野球部2年生部員だったことも知ることができた。当時の湘南OBの内かなりの生徒が海兵に進学していた。北原白秋作詞の校歌の一部に♪~立身報告期せよ 友よ~♪というフレーズがあり、入学当初から気にかかっていたが、これが戦時中陸士や海兵へ生徒を煽ったとは断定できないが、気にはなっていた。いずれにせよ私の嫌いなフレーズである。
あと数日ぐらいの間にある程度仕上げたいと思っている。