やはりと言うべきであろう。今日猪瀬直樹・東京都知事が辞表を提出した。これだけ話に辻褄が合わなくなってボロが出ては都民はもちろん、一般国民から理解が得られるわけがない。猪瀬氏を知る人もみながっかりして、本当の猪瀬氏と仮面のイノセ氏とのギャップに面食らっているようだ。
結局猪瀬氏を後任知事に強く推した石原慎太郎前知事が引導を言い渡したようだ。今年9月、2020年東京オリンピック・パラリンピック決定に大きな役割を果たしてから、僅か2カ月後に徳州会からの5千万円借り入れ問題が発覚して、それが結局命取りになった。
それにしても道路公団民営化問題で政府委員として明快な持論を歯切れのよさで展開し、それが知事へ大きなアクセスとなったが、最近では当時の不遜なはったりはまったく感じられなかった。昨日までの都議会総務委員会における質問者から猪瀬氏への集中砲火は、猪瀬氏をさらし者にするだけの舞台となり、流石に強気の猪瀬氏もついに降参し引責辞職することになった。
「疑念を払拭するには至らなかった。これ以上都政を停滞させるわけにはいかない。五輪の開催準備を滞らせるわけにもいかない」と苦しい胸の内を語った。
来年度の予算編成、東京オリンピック組織委員会活動などの重要課題が山積している。知事が空席になって都政が滞っては反ってマイナスである。新知事選出は来年2月になるようで、早くも各政党間では候補者選びに余念がないようだが、都政の停滞だけは忘れないでほしいものである。
しかし、猪瀬氏の辞任によって昨日まで百条委員会を開催すると強気に公言していた都議会では、これを取り止めるという。つまり武士の情けを示したつもりのようだ。これで猪瀬氏への法的強制力はなくなった。これに替わって市民団体が猪瀬氏を告発するという。ふざけている。
昨年の知事選では、ちょうど自由が丘駅前に街頭演説に来られた猪瀬氏に街宣車の上で俳優の宍戸錠が応援演説をしていたが、私が係員に対して江戸城再建について猪瀬氏はどう考えているかとの質問に対しては猪瀬候補者に直接聞いてほしいと素っ気なかった。
昨年の昨日都知事に就任してちょうど1年が経ったが、その座を降りることになった。身から出た錆とは言え、不本意だろう。それにしては何とも嘆かわしい。その就任1年を機に「勝ち抜く力」なる著書を出版したが、何ともタイミングの悪い時期に当ってしまった。どうせ書くなら「勝ち抜けない力」の方が良かったのではないかと皮肉のひとつも言いたくなる。
さて、今夕の日経紙のエッセイ「こころの玉手箱」を連載している直木賞作家・北村薫が、「わたしは、保育園にも幼稚園にも行かなかった。昔は、それが普通だった。小学校に上がるまでは、下駄を履いていた。今の子には信じられないだろう」と得意がっているが、私だってそうだったし、下駄は学校に上がる前どころか、高学年になるまで下駄履き通学だった。私より年長かと思っていたらそれが何と私より11歳も若い。でも、昔はこんなに厳しかった、辛かったとノスタルジアに捉われるようになっては、おしまいか。