2412.2013年12月20日(金) 三井三池炭鉱爆発事故から50年

 昨日猪瀬東京都知事が辞任を表明してからメディアでは蜂の巣をつついたような騒ぎようで、辞任に至った経緯と原因、知事の人間性、知事の道義的責任と刑事告発等々、後から後から話題が噴出して当分静まりそうもない。

 それにしても、あれほど強気一辺倒だった猪瀬知事が、自分はアマチュア政治家だったとか、傲慢だったとか、本心は分らないが気弱な一面を見せている。今後は作家として恩返ししたいなどと世間を見くびったようなことも言っている。自分のやったことを思えば、そんな悠長な空言を言えるような場合ではあるまい。

 東京都職員の服務規程に触れる点や、百条委員会開催決定の動きが不本意ながら知事に辞める決断をさせたようだ。前者については、かつて石原慎太郎・前知事の腹心だった副知事が業者との間で服務規程に触れる点があって辞めざるを得なくなった先例があったことと、後者については、証人喚問や告発の可能性が強いということが決断のポイントになった。しかし、前者は分るとして、後者については猪瀬氏が辞任したら都議会は百条委員会を開催しないことを決定したというのは、少々おかしいのではないだろうか。これでは、偽証や借入金問題はまったく不透明のままで解決しない。都民に対しても説明責任を果たしていない。昨年の知事選で4百万票以上を得た猪瀬氏に私は清き一票を投じなかった。裏切られる前にその人間性に信頼が置けなかったのだ。案の定、このザマである。知事辞任とは無関係に、猪瀬氏は自分のやった行為について都民にきちんと説明責任を果たすべきである。

 さて、今週朝日新聞夕刊1面に連載されていたレポート「三池炭鉱をたどって」を読んで当時の悲惨な炭鉱爆発事故をまざまざと思い出した。あれは1963年11月9日だった。死者458名、労災認定された一酸化炭素中毒患者839人の大惨事だった。大学ゼミで多少労働問題を学んでその年社会へ出た私は、この事故の僅か2週間足らずの後、ケネディ米大統領の暗殺にも衝撃を受けた。三池炭鉱事故の大災害にも関わらず、メディアの関心はいつの間にかケネディ暗殺へ移っていった。大量死者と多くの重病者を生み大きな後遺症を残し、しかも炭鉱景気が下り坂へ転じた象徴的な事件となったこの爆発事故が、たったひとりのアメリカ人の死にすりかえられていったシナリオに無情を感じたものである。

 もうあんな悲惨な事故は起こることはないと思いたいが、原発が稼動しているうちはその危険の可能性がある。すべての原発はいま休停止しているが、いつ再稼動されるか分らない。三井三池炭鉱爆発、東電福島原発事故を、ゆめゆめ忘れてはなるまい。

2013年12月20日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com