亡父の13回忌を都内中野区の菩提寺である真言宗豊山派の宝仙寺で執り行った。父の子ども5人、つまりわれわれ兄弟妹とその子、つまり孫と曾孫、併せて29人が出席した。もう満12年が経つのかと些か感慨無量である。
父は婿入り養子として近藤家へ入ってきた。母には18年も前に旅立たれたので、長い独り住まい生活を送ることになり、その点では寂しい晩年を送ることになった。息子たちが健康で何とか幸せな家庭を持てたことが、せめてもの安心材料だったのではないだろうか。
学生時代にアメリカの大学へ留学したいと度々ねだったところ、思い切ってブラジルへでも行って一旗挙げてみろと言われたものだ。明治乳業の宣伝部長から役員にまでなったので、就職はある程度顔が利くからどこへ入りたいのかと問われたが、結局父の世話にはならずに自分で決めたことを生意気な野郎だが、マァ放っておいても大丈夫だろうと母親に言っていたそうだから、あまり行く末は心配していなかったようだ。
口喧嘩もしたが、好きなことをやらせてくれ、大学入学に2年間も浪人生活まで送らせてもらったことは心から感謝している。
幸い兄弟たちも子孫を含めてほとんどが都合をつけて出席してくれた。こういう時でないと中々会うことは少なくなったが、懐かしい思い出がいっぱいあることは幸せな証拠なのだろう。
この次の法事は、父より先に亡くなった母の33回忌で再来年である。それまで兄弟揃って元気でいたいものである。