2440.2014年1月17日(金) ルバング島より生還の小野田寛郎さん亡くなる。

 フィリピンのルバング島ジャングル内に29年間潜んだ末に発見され、日本へ帰還後ブラジルで自然を相手に牧場を経営したり、日本で子どもに自然との付き合い方を教えていた小野田寛郎・元陸軍少尉が91歳で亡くなられた。重爆撃機部隊の第1回飛行第12戦隊南方基地慰霊団がビルマへ向かう折に、小野田さんがルバング島から帰ってきた日航特別機と羽田空港で時間的にかち合い、われわれも取材され翌日の新聞に掲載されたことがある。日本軍人として帰国する人がいる一方で、亡くなった戦友を慰霊するためかつての戦跡地を訪問する戦友がいるという視点で取材された。確か「往く人帰る人」というテーマだったと思う。今晩のNHK「ニュース9」でちょうど小野田さんが搭乗した日航特別機が羽田へ到着したその時のシーンを映し出していた。慰霊団とともに、あの日のことはよく憶えている。懐かしい。

 小野田さんは、陸軍中野学校の出身で工作員としてフィリピンへ派遣された。しかし、帰国後の小野田さんの生き方には、スパイ工作のような陰湿なイメージは感じられず、むしろボランティア活動で子どもたちに自然の中で生きる知恵を教えるために塾を開いたり、フィリピンの子どもたちの育英資金を寄付したような行為が目立つ。生きることと生き方について強い信念を持っていた人だと思う。

 その後小野田さんは、グアム島から帰還した横井庄一さんといろいろの面で比較されたが、その比較論を遺骨収集団でご一緒した団長から伺った話として執筆中のノン・フィクションの1章にちょっぴり取り上げた。団長は2人の性格は大違いだったと仰っていた。

 さて、今日は神戸・淡路大震災から19年目になる。早いものでいまの高校生より若い人たちは震災を知らない世代になった。あの朝起きてテレビで惨状を知り驚いた。まもなくして地球の裏側のリオ・デ・ジャネイロの知人、アーリンド・フルタードさんから親戚や友人に犠牲者はいないかと見舞いの電話があり、彼の友人を思う優しさと気遣いに感激したことを思い出す。そのアーリンドさんも最近は高齢のため、ブラジルの南部都市へしばしば転地している。どうも健康面が優れないようだ。

 地震と言えば、1999年8月17日のトルコ大地震にトルコの古都チャナッカレで遭遇した時の衝撃は忘れられない。その後この時自分の目で見て体感したことが、臨場感の感得として執筆面で大いに役立っている。

 地震の都度わが家の屋根瓦も耐震上軽量化されたスレート状の材料を使った屋根に変えた方が良いと言われている。実際近所の和風家屋でも瓦屋根の家はほとんど見られなくなった。屋根を変えることはぜひやりたいと思っているが、費用もかかることであり、いま直ぐというわけにはいかない。しばらく考えたい。

2014年1月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com