2442.2014年1月19日(日) ベトナム戦争番外事件

 昨日の朝日新聞夕刊の「昭和史再訪」に、若いころ極めてショッキングな事件としてベトナム戦争下の社会を驚かせた、アメリカ海軍兵脱走のニュースが取り上げられていた。事件が報道されたのは、1967年11月13日付新聞である。ベトナム戦争は日一日と激しさを加え、当時われわれもベトナム反戦のデモ行進をしていた。米軍兵士4人が横須賀港に停泊中の原潜「イントレピッド」から脱走したのは、10月28日だった。彼ら4人を横浜港からソ連客船バイカル号に乗せ、日本領海を出た時点でべ平連が記者会見を開き、この事実を16㎜映写フィルム上映で発表し、世間を驚かせた。そのフィルムを撮っていたのが小中陽太郎さんで、その後小中さんからこの鮮烈なフィルムを機会あるごとに度々見せてもらった。

 このフィルムの中で主に喋っていたのが小田実さんだった。今朝電話で野村故堂賞を授賞された祝賀会の件で小中さんと話していて、偶々その件に触れたところ、新聞記事にはもっと他に記載されなかった話をしたが、スペースの都合で紹介されなかったと話しておられた。

 当時はノン・ポリは別にして、日本中ベトナム反戦運動の渦中にあったと言ってもいい。私がベトナムへひとりで出かけたのも、その年の1月だった。戦争の恐ろしさを小学生の頃とは違う臨場感で感じたのは、まさにこの頃だった。

 1975年4月ベトナム戦争は終結し、南北ベトナムが統一されて漸く独立した社会主義国家となった。その後2000年に一度だけベトナムへ行ったが、街から戦争ムードは消え去り、時代環境が急変し、若い人たちも戦争を実感として感じていないようだった。北ベトナムをソ連とともに支援していた中国は、しばらく友好国としてベトナムと蜜月関係にあったが、いまでは南シナ海の西沙諸島問題がこじれて、むしろ対立するようになってしまった。いま両国の外交関係はベトナム戦争後最悪である。

 今日テレビでベトナム国内の中国の西沙諸島占拠に対する抗議集会を映し出していたが、40年前の今日島が占領されたという。ということは、当時終戦1年前でベトナム戦争はまだ終わってはいなかったという点から考えると、中国はすでに終戦近いことを予感して友好国ベトナムの信頼と油断を見透かしだまし討ちするように一気に西沙諸島に上陸占拠して自国領にしてしまったのではないか。いかにも中国らしい狡猾なやり方だ。

 それにしても問題を目にするたびに嫌な時代ではあったが、一面懐かしさも蘇ってくるものである。

 さて、また訃報である。政治評論家として知られた毎日新聞特別顧問の岩見隆夫さんである。肺炎のため昨日78歳でお亡くなりになった。切れ味鋭い政治評論で名を成された。岩見さんは江戸城の再建に強い関心を抱き、「サンデー毎日」でも江戸城再建を訴えていた。「江戸城天守閣を再建する会」顧問を務められていたので、何度かお話をしたことがある。今年年賀状をいただかなかったので、ご健康を気にしていたところだった。来月「江戸城天守閣を再建する会」の総会があるが、もう一度お話してみたかった。心よりご冥福をお祈り致したい。

2014年1月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com