5422.2022年6月25日(土) 朝鮮動乱勃発から72年

 このところ忌まわしい戦争に関係のある記念日が続いているが、72年前の今日は、戦後の戦争記念日のひとつである朝鮮戦争が勃発した日である。1950年、当時のスターリン・ソ連首相の了解と支援の下に金日成率いる北朝鮮軍が事実上の国境線となっていた38度線を越えて韓国へ侵攻し、戦争は3年間続いた。当初朝鮮動乱と呼ばれた朝鮮戦争は、実は終結したわけではなく現在も休戦状態なのだ。韓国を支援した国連軍と中国・北朝鮮連合軍との間で朝鮮戦争休戦協定に署名し、休戦になったのである。

 朝鮮戦争については、あの当時はまだ幼かったが、随分想い出がある。開戦当時は小学校6年生で、生徒思いだった担任の湯浅和先生が開戦時からほとんど毎日のように戦況を話してくれた。当時はまだテレビもなかったが、先生は朝鮮半島の地図を黒板に描いて北朝鮮の南下、侵略ぶりを分かり易く説明してくれた。昨年創立150周年を迎えたその母校・千葉市立幕張小学校では今春になって記念誌を発行したが、私のその寄稿文には湯浅先生が朝鮮戦争についてしばしば話されたことを記したくらい、印象深い事件のひとつだった。

 韓国軍を支援する各国が軍隊を派遣して22か国から成る国連軍を名乗り、韓国軍は国民防衛軍を合わせて約100万人に国連軍約40万人が38度線を境に激戦を交わした。その韓国軍が押されっ放しになり、北朝鮮軍が南下して来た。窮余の一策で、同年9月全軍の司令官だったマッカーサー元帥の発案により、首都ソウルの西20㎞の仁川港に電撃作戦により海上から上陸し、敗勢を一気に挽回した。その後マッカーサー司令官の強気な強硬作戦が第3次世界大戦に発展しかねないと憂慮したアメリカのトルーマン大統領が、唐突にマッカーサー司令官を解任したことも当時大きな話題を浚った。

 その当時韓国では李承晩・初代大統領時代だったが、大統領は戦時中日本に冷遇されたことから極端な反日政策を取り、1952年には独断により日本海に「李承晩ライン」を設定して、李ラインを侵犯した日本の漁船を悉く拿捕して大きな政治的社会問題となり、それが今日に至る悪化した日韓関係のつまずきの原因となった。李大統領は、韓国内でも政敵を追放し、20万人以上の政治犯を虐殺したと言われている。それでも53年7月27日に戦争を休戦に収める成果をもたらした。60年3月には大統領選に絡む不正選挙が問題となり、それを糾弾するデモ隊と警官隊の間で衝突があり、多数の市民が亡くなった。その直後に大統領職を放り出しハワイに亡命し、その5年後ハワイで亡くなった。

 韓国の歴代大統領には、自殺や逮捕など不祥事で芳しくない晩年を迎える人物が多いが、新生大韓民国生みの親である初代大統領にして、この体たらくだった。

 韓国には5度ほど訪れているが、その中で2008年12月、韓国の東海岸・束草市で「高齢者の社会保障制度」に関する国際シンポジウムが開催され、日本からただひとりコメンテーターとして招かれた。その折何とこの束草市は、通称国境線と呼ばれる北緯38度の更に北に位置していることに気付かされた。雪岳山を西に、日本海を東に臨む韓国の人気の観光地であることも知った。懐かしく印象的な事象が多い。

 あの朝鮮動乱が始まったのが、72年前の今日とだと想うとつい感傷的になる。

2022年6月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com