2504.2014年3月22日(土) 漱石の「こころ」が100年ぶりに朝日再連載へ

 第2次世界大戦が始まった丁度100年前の4月朝日新聞に文豪・夏目漱石の「こころ」が連載された。その当時に倣って今年4月から朝日朝刊に再び「こころ」が110回に亘って連載されるという。珍しい試みだと思う。ただ、最近の朝日新聞の連載小説はあまり面白くない。現在の連載小説も朝夕とも途中で読むのを止めてしまった。朝日に引き換え、日経の連載小説は結構面白く、朝夕とも毎日楽しんで読んでいる。朝日はどうしてこんなつまらない小説ばかり連載するのだろうといつも思っていた。勘ぐれば、佳作を見つけ出せないので、昔のコピー作品にかつての夢を追ったということでなければ良いが・・・。

 これとは別に、当時朝日新聞記者だった漱石が自紙に作品を連載したというのも、現代の常識では考えられない。しかし、漱石はその頃すでに功なり名を遂げていて朝日記者というより文豪と呼ばれていた。「こころ」は処女作「吾輩は猫である」が連載されてからすでに9年が経っていた。連載された時は「こころ」は「心」だったし、全体の文章の区切りも今の「こころ」とは、違っていた。

 残念ながら、学生時代に読んだ「こころ」があまり印象に残っていない。この機に改めて読んでみようと書棚から取り出してみた。

 実は、わが家の漱石全集19巻は、読書好きだった義父が昭和10年に漱石全集刊行会から初めて「漱石全集」として出版されたものを買い求め、父の没後、そっくり私の書棚に収まったものだ。漱石全集刊行会は岩波茂雄が代表者でその後岩波書店の前身書店に組み込まれた。「こころ」は、全集の8巻に「道草」とともに収められている。「調子」を「てうし」、「状態」を「じやうたい」、「要領」を「えうりやう」とルビがふってあり、「蝶々」を「てふてふ」と国定教科書で教えられた国民学校時代を思わせられる。価格は印刷されていないので分からない。グラビアに漱石幼少時代の写真や、「漱石山房」と書かれた漱石専用原稿用紙に「道草」の直筆の写真が載っている。

 思い返せば、漱石を読んだのは、母に勧められて小学校5年生の時「坊っちゃん」を読んだのが最初だった。その後「吾輩は猫である」、「三四郎」、「それから」へ、そして他の作品へ読み進んで行ったように思う。

 初めて松山へ行った時には、漱石の亡霊を追うように「坊っちゃん」を思い出していた。

 義父が残してくれた、旧き時代を感じさせる「こころ」を改めて味わいながら読んでみたいと思う。

2014年3月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com