朝からじめじめした小雨が降って梅雨のようである。惜しいことに、これでいま満開の桜も散り行く運命となってしまうだろう。
先月末かかりつけの森内科医で検査を受けた糖尿病の数値が急に悪くなったので、専門医に診てもらうべく近くの東京医療センターを予約してもらった。早速医師と問診をして検査をしてもらったところ、心配していた数値は大分下がっていた。まずはほっとした。今年に入ってからヘモグロビン(HbA1c)が7.2、7.4、7.6と昨年までの高値安定数値の6点台をたちまち凌駕してしまった。数値が悪魔の領域へ向かってどんどん昇って行く。血糖値も正常値(80~112mg)を超えて200台、333と急に悪化したので、こりゃまずいと思っていた矢先に、今日の検査結果では前者6.9、後者が130と大分下がっていた。いろいろアドバイスをいただきながら、併せて食事療法について専門の栄養士から話を伺った。甘い物は絶対に控えることと、食事では一日1600カロリーを目指してバランスの良い食事を心がけることをアドバイスされた。その他には、体重をもう少し減らすよう努力することを求められた。
取り敢えず一安心ではあるが、これを教訓として捉え食生活、減量、運動に注意を払っていかなければいけないと肝に銘じたところである。
さて、また今日友人の訃報をもらった。竹内謙・元鎌倉市長が昨日亡くなったとの知らせだった。体調が悪いとは聞いていなかった。残念である。
彼は高校ラグビー部の2年後輩であるが、同じフォワードとしてスクラムを組んでいた。最近では彼が鎌倉学会を起ち上げて鎌倉市民を対象に広く学問的に鎌倉を研究対象にした勉強会を呼び掛け、市民でない私にも会員となって協力して欲しいと話をいただいて、その任に非ずと一度はお断りしたことがある。結局口説かれて会員になって2度ばかり会に参加したが、その後連絡がないので気に掛かっていた。
彼については思い出がたくさんある。1993年鎌倉市長選に立候補するので、選挙事務局長を引き受けて欲しいと唐突に電話があった。手伝ってあげたかったが、仕事で多忙だったため代わりに3年先輩の水野勇右さんを推薦して側面からバックアップする立場に回った。鎌倉市内を随分歩いたので、鎌倉特有の街づくりや狭い路地裏を知ることができた。2期8年市長を務めた後、誰にも真意を語らず市政からさっと身を引いたので、ちょっとあっけにとられた記憶がある。全面的に支援していた浄智寺井上住職も呆れて怒っていたくらいだった。
選挙には彼の顔の広さもあって、多くの著名人が選挙応援に来てくれた。三木武夫元首相夫人を始め、評論家内橋克人氏、高野連会長で当時早大総長だった奥島孝康氏、メディアからはすでに鬼籍に入った筑紫哲也氏、岩見隆夫氏らが来られた。
実は、近々上梓を予定しているノン・フィクションでも彼について触れている。ともに戦った高校ラグビー部員のひとりとして、元鎌倉市長であり、ゾルゲ事件の尾崎秀実と阿部定事件の刑事弁護士を務めて名を高めた竹内金太郎の孫であると紹介した。彼にはまだそのことを伝えないまま黄泉の国へ旅立たれてしまったが、その点が少々心残りである。
今年も年賀状をもらい、そこには私の元気にあやかりたいと書いてあったが、私が病院へ行くようになったように脆くなった健康では、お役に立てなかった。そのことが申し訳ない。心よりご冥福を祈っている。