ウクライナのロシア系住民が不穏な動きを示し始めた。すでにクリミアが住民投票で独立を宣言し、ロシアへの編入を望むというスタンスを示した。それに続いてウクライナ東部のドネツク、ハリコフ、ルハンシクなどでロシア系住民がウクライナからの分離独立を求める運動が活発になってきた。ドネツクでは議会にロシア系住民がなだれ込み勝手に議会を開きドネツク共和国の樹立宣言をしてロシア軍平和維持部隊の駐留を望んでいる。ハリコフでも親ロシア派デモ隊がハリコフ人民共和国の樹立を宣言した。ルハンシクではクリミア同様に住民投票の実施を求めている。ウクライナ政府はロシアの特殊部隊が背後で画策しているとロシアを強く非難している。
現時点ではロシアは静観の構えを取っているが、彼らを支援する意思がありありで、いずれ国際的な注目を集める中でぐじゃぐじゃになることは間違いない。これらの地域には元々ロシア系住民が多かったので、ロシアへの信頼感があることは間違いないが、それにしても住民さえ取り込めば彼らの思い通り何でもできるというのはどんなものだろうか。
ウクライナ情勢が再び荒れようとしている。
さて、昨日と今日の2日続きで貴重な資料が見つかったことが公表された。ひとつは昨日都内で発見された坂本龍馬の手紙草稿である。直筆であることが鑑定人によって裏付けされた。龍馬が福井藩藩士・三岡八郎と新政府樹立など国の将来について語り合った内容がこの後藤象二郎宛の手紙の草稿に書かれているという。龍馬はこの中で新政府の財政を論ずるのは三岡以外にはいないと見込んだ人物だ。三岡は後に由里公正と改名し、「五箇条御誓文」を起草した明治政府にとって重要な人物である。龍馬の鋭い人物鑑識眼を証明している。しかしながら、この手紙を書いた10日後に龍馬は暗殺されてしまった。
もうひとつは、今日文科省が発表した教育勅語の原本である。これは一度所在が分からなくなり再発見されたものだ。明治政府の教育と道徳の理念を示す資料で、戦前教育の根幹を成すものである。ふたつとも明治政府が日本、及び日本人の進むべき方向性を規範として示したものだと言える。
しかし、その貴重な資料が同じ時期に発見されるとは偶発性にしてもあまりにも奇遇である。