夏目漱石が「こころ」を東京朝日新聞に連載を始めたのは、実に100年前の今日だった。それを期して今日から朝日でリバイバル連載を始めた。当時は「こころ」とは言わずに、「心」にルビをふっていた。私も漱石ファンのひとりであるが、漱石が朝日の記者だったことは知らなかった。
「こころ」は大学生の頃に読んで、感銘を受けた作品のひとつである。初めて漱石を読んだのは、最も人気のある「坊っちゃん」だった。小学校5年生の時、母親に勧められて初めて手に取った。その後「吾輩は猫である」に進んだのは、ネーミングが面白かったからだ。それから「三四郎」「こころ」「それから」「門」「明暗」等々へ読み進んでいった。
その「こころ」第1回再掲載記念に際して今朝の朝日は全一面を「こころ」特集に当てている。朝日記者だったこと以外にも知らなかった事実が多い。特に、明治天皇が危篤になり、号外が発行され、隅田川の川開きが中止された事実である。明治45(1912)年7月20日の日記に漱石はこう書いている。
「晩天子重患の号外を手にす。尿毒症の由にて昏睡状態の旨報ぜらる。川開きの催し差留られたり。天子未だ崩ぜず川開きを禁ずるの必要なし。・・・演劇其他の興業もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐ有様也。天子の病は万民の同情に価す。然れども万民の営業直接天子の病気に害を与えざる限りは進行して然るべし」。
漱石の批判精神が全文に溢れている。漱石の言わんとしたのは、何でも自粛する傾向のある日本人の精神構造について皮肉を交えた批判である。
100年前と言えば、第一次世界大戦が勃発した年である。日露戦争の勝ち戦に乗って軍国調が頭をもたげてきた時代に、この日記は中々勇気のある発言ではないだろうか。
改めて漱石を読んでみたいと思っている。