今日唐突に日本の世界遺産登録に関するニュースが飛び込んできた。文化庁関係者も知らないうちに、群馬県富岡製糸場の登録申請についてユネスコの諮問機関イコモスから登録を求める勧告が出されたのである。6月にカタールで開催される世界遺産委員会で認められれば、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として正式に世界遺産に登録される。
昨夜半にこのニュースが伝えられたために、関係者はほとんど就寝中で一報を聞いて慌てふためいたらしい。ところが、地元の富岡市では今日市長も休みを返上して登庁し、万歳三唱しているほどの喜びようである。正式に決まったわけではないのに、嬉しさを我慢しきれないのだろう。今日は見学者も普段以上に多く、全国から富岡市への問い合わせも多いという。気持ちは分からないでもないが、苦渋を舐めたことがある。
昨夏先日亡くなった竹内謙元鎌倉市長らと鎌倉市内で、市民学会の準備を進めていた時に早々と登録が決まったかのようなムードがあった。しかし、鎌倉の登録申請は結局認められず愕然としたことがあった。何事も最後の最後まで下駄を履いてみるまでは分からないものである。
富岡製糸場については中学生の頃社会科で習ったので、馴染み深い。富岡市の周辺都市の同種の施設を含めて絹産業遺産群として登録されるようだが、主たる施設の富岡製糸場は1872年に明治政府の肝いりで開設され700名ばかりの女工が働いた。それはやがて富岡を第一歩として殖産振興、富国強兵の名の下に全国に製糸場が開設され、その陰で女工哀史を生む暗い歴史が作られていった。その後製糸産業は日本の主要産業として繁栄し、世界に日本の生糸を売り込んだことはまぎれもない。1987年操業停止に至ったが、その後工場施設は保存され今日に至った。
過剰反応でなければ良いが、富岡製糸場が近代日本資本主義の先兵となって殖産振興に努めた結果日本帝国主義の礎が固められたとするなら、日本帝国主義を目の敵にしている中韓両国がこの富岡製糸場の世界遺産登録について、「反対」「認められない」などと見当違いの反日運動を起こさなければ良いがなぁと思う。
それにしても世界遺産の正式登録はまだ2カ月も先の6月である。偶々今日から連休に入ったこともあり、お祭り騒ぎをやっているようだが、認められなかったら昨年の鎌倉のように悲哀を味わうことになるのではないだろうか。決まるまでは浮足立ってはなるまい。