5249.2021年9月25日(土) 小学校低学年の国語教育に「綴り方」を

 文化庁が「国語に関する世論調査」を発表した。その中で言葉の使われ方が、本来の意味とは異なって理解されている例が多いことが分った。

 私自身いくつか思い当たることがある。文化庁の調べで特に取り上げられた言葉は、「破天荒」、「がぜん」である。前者については、本来「誰も成し得なかったことをすること」の意味であり、私の海外武者修行についても僭越ながら拙著の中で度々紹介している。それが「豪快で大胆な様子」と理解されているようだ。また、後者については、「急に、突然」が「とても、断然」と理解されているケースがあるようだ。

 その原因として独断的に考えるなら、これらの言葉を、読書しながら目にして頭で考えて前後関係から意味を読みとることより、むしろ日常の話し言葉の中で触れることによって感覚的に判断しているからではないかと思う。

 本ブログに取り上げたこともあるが、テレビで若手タレントの話し言葉でしばしば耳にするのは、「メチャメチャ良い」とか、「メッチャきれい」と言う表現である。何でもかんでも「メッチャ」を「すごい」のように良い意味に使っていることである。本来なら「全然ダメ」の意味だが、その反対の意味で使用している。それにこの言葉の持つ声の響きが子供じみてやや下品な感じがしてならない。それを本来の意味を知らず、やたらに使いたがる若いタレントが多く、ある意味で次元が低いと感じている。

 これに対して文化庁のコメントが、「言葉は変化する。あくまで本来の意味や言い方との比較で、正しいか間違いではない。場面に応じて言葉を大事に使い、豊かなコミュニケーションをとってほしい」というものである。これではこの間違い用法を肯定しているようなものだ。文化庁は「間違いではない」と言っているが、間違いだとどうして言えないのか。言葉を大事に使っていないから豊かなコミュニケーションなぞ望む方が無理ではないか。

 文化庁も文部科学省も、日本語の基本である国語をどう考え、義務教育で国語をどう教えようというのか、よく分からない。文章を綴るということに、あまり細かい神経を使っていないようだ。我々が小学校低学年時には、国語教育は、「読み方」と「書き方」があり、それが「読み方」と「綴り方」となった。書くことをかなり熱心に教えてもらった。その後もテレビがない時代には、読むことと書くことを国語の授業で随分学んだものだ。それが、今ではテレビ時代からIT時代に入り、他人の文章をコペピして借用(盗用)するように自分で書くことから逃げる傾向がある。

 数年前のことであるが、前川喜平・元文科事務次官と話す機会があり、小学校教育で国語の授業に「読み方」に「綴り方」を加えて教えてはどうかとアドバイスしたことがあったが、まったく興味がなさそうだった。しっかりした文章を書ける小学生が見られるのは、あまり期待出来ないようだ。

2021年9月25日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com