5179.2021年7月17日(土) 佐藤優氏の立花隆論(「文藝春秋」8月号)

 「文藝春秋」8月号に、4月に亡くなられたジャーナリスト立花隆の追悼特集が掲載されている。立花については、すでに他の雑誌やテレビでも特集が組まれたが、これを読んで改めて立花の人物像と仕事ぶりに敬服した次第である。

 追悼特集は、「立花隆『知の巨人』の素顔」と題して、柳田邦男、山極寿一氏ら9人の著名なジャーナリストがその仕事ぶりと人となりについて書いている。9人はそれぞれに個人的な思い出と感想を記しているが、皆立花の単なるジャーナリストとは思えない並外れた想像力、行動力、読書量、情熱などについてベタ褒めである。その中でただひとり立花を評価しながらも「私とは波長が合わなかった」と書いたのが、佐藤優・元外務省主任分析官である。2人で対談を書籍化していながら、形而上学論において意見の一致を見ることはなかった。また、佐藤氏は立花がすべての事象に精一杯学習し、真剣に取り組んだことに関して評価しながらも「脳死体験」だけは理解出来ないと否定的である。

 佐藤氏は数々の著書を物にされ、ベストセラー書も多いが、少々自己顕示欲が強く、これまでも時に人物批評が物議を醸すこともあった。私も彼の作品を何冊か読了したが、河上を誤解して自己主張を押し付けていると思うのは、講談社現代新書「貧乏物語 現代語訳」で社会主義経済学者の河上肇博士について間違った見方をしていることである。佐藤氏は河上が戦前特高に追い詰められ、転向したと批判しているが、それは間違っている。河上は「転向」ではなく、自ら「没落宣言」をしたのである。その後社会主義論について書くことを止めると宣言したのである。河上は著書の中で苦しい胸中を披歴している。当局に赤旗を掲げるのではなく、その場から姿を隠し活動から遠ざかるという主旨のことを書いている。佐藤氏に言わせれば、現実から逃避して姿を隠すようでは、転向と変わらないと言いたいのだろうが、河上の心境は右翼からの弾圧にひとりでは抗しきれないので、しばらく身を潜めるという主旨である。それでも河上が絶対転向するのは嫌だと、敢えて「没落」という言葉を使って身を潜めている気持ちを述べている。その点を配慮することなく、一方的に「転向」と片付けるのは大学教授、キリスト教徒としてインテリらしからぬ狭量な決めつけである。

 佐藤氏には、自らの考え方とこれまで仕事でやってきたことに過度な自信があるのかも知れないが、少々不遜な点が見られる。佐藤氏には、鈴木宗男議員とつるんで刑事訴追された過去もあり、全面的にその言動を素直には受け取れない点がある。その点では立花の人間性やら実績に軍配を上げたい。

 昨日梅雨明けとなったが、やはり今日は全国的に気温が高い。全国で真夏日となったところが、575地点、猛暑日となったところが41地点もあった。昨日と同様に今日もそれらの地点は、北海道から東北地方に点在していることである。世田谷区では最高気温は猛暑日の33℃を記録した。今日外出したらやはり暑かった。この先を考えるとゾッとする。

2021年7月17日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com