今月の日経紙「私の履歴書」は、地味な方だがアサヒビ-ル相談役で、元NHK会長も務めた福地茂雄氏が書いている。中々ユニークな筆遣いで、得意だった国語の自己満足ぶりがユーモラスに描かれている。5年生の時短歌で「一枝(ひとえだ)の林の中を過ぎゆけばほのかに匂う梅の花かも」と書いたらインテリだった母親から「過ぎゆけばを、歩みゆけばというように字あまりしなさい」と言われたという。小学生時代に在校生を代表して卒業生を送る送辞を述べた時には、その言葉がインテリだった母親の添削指導もあったというが、傑出してとても小学生の書いたものとは思えない。
「厳しい冬の寒さに耐えて、清く気高く咲き匂いし梅の花もいつしか散って、緋桃、白桃、競い咲く弥生の候となりました」。これが5年生の文章かと感心するのだが、教育ママだった母親は福地氏が大学生になっても変わらなかったという。モーレツ教育ママだったことが伺える。
その福地氏が目を付けたポスターに面白いのがあった。
子どもの頃現在の北九州で見たポスターに「ルーズベルトのベルトが切れて、チャーチル、散る、散る、首が散る 玉井金五郎」と書かれていたという。最近脚光を浴びたクリミヤ半島のヤルタで行われた第1次世界大戦の終結条件を話合った、ルーズベルト、チャーチル、スターリンの大物三者会談を痛烈に皮肉ったものだ。玉井金五郎とは作家火野葦平の父親で「花と竜」の主人公だった人物だそうだが、子どもの頃の記憶はいつまで経っても忘れないものだと思うと感に堪えない。福地氏の履歴書からこれからどんな興味深いエピソードを紹介していただけるのか、楽しみにしたい。
さて、また訃報である。高校ラグビー部の村田さんが亡くなられたことを知らされた。最近数年お会いすることもなく、体調が悪いと聞いていた。私の2年前のキャプテンだった。京都の中学から湘南高へ入学したばかりであまり友人がいなかったが、いろいろ気を遣っていただいた。私がラグビー部OB会長に就任した時には、積極的に周囲のOBに私を会長に推してくれたと元会長から伺った。昨年夏には1年上のキャプテンだった渡辺さんが亡くなられた。いずれもお世話になり、よく存じ上げていた人なので余計に寂しい。
お会いするといつも「おう、元気か?」と言った村田さんの顔が忘れられない。心よりご冥福をお祈りしたい。 合掌