5134.2021年6月2日(水) 象の群れの北進から中国国歌作曲家を想う。

 東京医療センター膠原病内科の岡野医師に勧められて、それまで服用していたステロイド・プレドニン5㎎錠を3倍の3錠に増やしたが、そうなると糖尿病には逆効果なので先日糖尿病クリニックの山内医師に了解いただいたうえで、連日3錠を飲んでいる。やはり効果があるようで、両膝の痛みが消えて脱力感もなくなったので、椅子から立ち上がる時が楽になった。来週改めて糖尿病クリニックで診てもらうのだが、その時ヘモグロビンHbA1c数値が現在の6.9から極力上がらないことを願っている。膝の具合が多少楽になったので、運動不足を兼ねて自宅周辺を散策したが、膝には堪えないが、足の脹脛が張って普段の運動不足を痛感させられた。

 ひとつのんびりしたトビックスが中国から伝わってきた。中国南部の雲南省でインド象の集団が北へ向かって移動している。インド象の生息地はインドや東南アジアで中国南部は北限とされている。それがミヤンマー国境近くの自然保護区にいた象が謎の北進を続けて北限を超えた可能性がある。テレビの画像で観ると何頭かの象が畑の中で食べものを求めて彷徨っている姿がある。これまで街の中で象の姿を見せたことがなかった当地の人は、遠巻きに恐る恐る眺めているだけである。昨年の春に移動を始めて年末には400㎞も移動したと言われている。畑が踏み荒らされたり、トウモロコシを食べられたりして最近の40日間の被害額だけでも1億2千万円に上ると言われている。人が近づけば興奮のあまり人的被害につながる恐れもあり、地元の消防署などでは象を興奮させないよう街や集落の入口に障害物を置いて、人のいない方へ誘導しているという。

 何となく童話チックな話題だが、当面被害を避けるにしてもこのまま徘徊した象の集団をどうやって元の鞘へ納めることが出来るだろうか。専門家の間では、環境の変化で保護区内の餌が少なくなり、引っ越し先を探しているとの説や、群れのリーダーが経験不足で道に迷ったかも知れないとの説がある。雲南省の省都・昆明市には2度訪れたことがあるが、今では大都市となっている。こんな都市に大きな象の群れが彷徨ったら昆明の人びとも仰天するだろう。いずれ収まることだろうが、その結末を知りたいと思う。

 閑話休題。大分以前に知った隠れたエピソードがある。現在の中国国歌「義勇軍行進曲」を作曲した作曲家・聶耳(ニエアール)が生れたのは、この省都・昆明市である。1935年にこの曲を作曲してから友人とともに神奈川県藤沢市鵠沼海岸を訪れ、遊泳中に23歳の若さで帰らぬ人となった。実は、山地にある昆明市とリゾート海岸の藤沢市が姉妹都市の協定を結んだことに若干違和感を覚えたので、調べてみたところ聶耳の水死が2つの都市を結ぶキッカケとなったことが判った。鵠沼海岸は若いころに毎夏海水浴を楽しんだ想い出のビーチである。聶耳が作曲した「義勇軍行進曲」は、1949年中華人民共和国の国家に制定された。54年水難に遭った鵠沼海岸に記念碑が建てられ中国赤十字会会長・李徳全女史を迎えて除幕式が行われ、この聶耳記念碑は多くの中国人の知るところとなったというストーリーである。

2021年6月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com