昨日父の日を祝って二男夫婦が夕食をご馳走してくれるというので、妻とともに横浜の二男宅へ出かけ、外で2人の孫を交えて焼き肉をいただいた。息子はごく最近新築の戸建て家屋を購入して来月そちらへ引っ越すことになっているので、序にその新家屋も見に行った。
いまどき新築家屋の購入となるとやや贅沢であるが、所詮狭苦しい家で住宅地帯と呼べるような住環境にはなく、それなりに予算と相談しながら手に入れた。まあ我々も充分検討するようアドバイスしたが、それでも彼自身が決断したので、敢えてそれ以上は言わなかった。元々東急東横線沿線を気に入っていたので、大倉山駅へ徒歩で行ける通勤ルートを考えると購入物件は良かったのではないだろうか。ローン借金もあるようなので、この投資を発奮材料にして努力して欲しいと願うだけである。
それにしても時折こういう心遣いを親に見せてくれるのは親としては何とも嬉しいものだ。
さて、集団的自衛権の行使が気がかりだが、安倍首相は「必要最小限度の行使」とか、「戦闘地域へ自衛隊を派遣しない」と言いつつも、強引に憲法解釈を変更してでも集団的自衛権を行使しようとしている。
偶々今朝の朝日にアフガン戦争に軍隊を派遣したドイツの事例を大きく取り上げている。それによるとドイツも今の日本の立場と同じように、専守防衛だったが1990年代に侵略戦争を禁じた憲法の解釈を変えてNATOのアフガン派兵に応じた。91年の湾岸戦争でアメリカからカネを出しただけと批判され、ドイツは連邦議会から議会の事前承認がある場合に限り合憲と認められ、ドイツ軍をNATO域外へ派遣できることになった。その結果アフガン戦場で多くの犠牲者を出した。それは当時のドイツのコール首相が今の安倍政権が真似るように憲法解釈の変更によって、軍隊を派遣し、犠牲者を出した結果につながった。
日本もカネは出したが、ドイツ同様に湾岸戦争で軍隊を派遣しないことをアメリカなど西欧諸国から批判されたことが外務省にとっては今日までトラウマとなっている。しかし、当時日本にはアメリカが日本の憲法に軍備の整備を禁じたことが日本に自衛隊の海外派遣を不可能にした理由であると居直った政治家もいたらしい。結果的に日本がカネは出したが、自衛隊を派遣しなかったことが批判されるのではないかといつまでもシコリとなり、それが現在の安倍首相ら自民党政府が集団的自衛権に拘る大きな原因となっている。
「ドイツ兵の多くは後方支援部隊にいながら死亡した。戦闘現場と後方支援の現場を分けられるという考えは幻想」とドイツの軍事専門家が指摘しているように、結果的にアフガン戦争で戦闘地域後方に派遣されたドイツ兵は55名が亡くなっている。
朝日の見出しだけ見ても「平和貢献のはずが、戦場だった」「ドイツ、解釈改憲の末に軍派遣」「派兵には必ず命の危険が伴う」「戦争に『限定』なんてあり得ない」というものだ。机上でいくら議論していても所詮弾丸の飛んでこない場所での「平和な場所」での話だ。一旦戦争が始まり修羅場となった以上いくら口で必要最小限の武力行使だと言ったところで、戯言である。戦場に兵士を派遣すれば、間違いなく犠牲者が出ることは意の当然である。
防衛問題に詳しいとされる石破茂・自民党幹事長の言い草は、集団的自衛権とは何かと問われると、「弱い国が助け合うためのもの」と応えるらしいが、アメリカが攻撃されたケースを度々サンプルとして説明している自民党政権が何を以って「弱い国」というのか。
穿った見方を言えば、戦争が起きても絶対徴兵されず、戦争の現場で戦わず、戦死する可能性のまったくない老人たちが若者たちに責任と犠牲をおっ被せているだけの言い分ではないのか。
それにしても戦後日本の平和の礎となった憲法の精神を、拙速にも今国会中に解釈変更で誤魔化そうとする愚だけは、思いとどまって欲しいものである。
政治家に彼らの都合だけでやろうと思えば何でもできると思わせるような前例は、絶対避けねばならない。
時も時、今日は大東亜戦争の敗北を決定づけたサイパン島の戦いが始まってちょうど70年目に当たる。結局日本人5万5千人もの犠牲者を生む玉砕となった。テレビで慰霊式典を見ていると、私自身慰霊碑の除幕式に立ち会った日のことが思い出されてくる。2005年には天皇・皇后両陛下もこの慰霊碑に参拝された。かつての日米両兵士も不戦を誓った場所である。しかし、集団的自衛権を推し進めようとする安倍政権のやり方を見ていると何か空しさを感じてならない。サイパン玉砕の犠牲者も草葉の陰で嘆いていることだろう。
ところで一昨日開幕となったワールドカップで今日緒戦を戦った日本は、先取点を挙げながら後半逆転されて1-2でコート・ジボワールに敗れた。日本中ががっかりしているが、前回大会では同じく緒戦に敗れながら世界の頂点に立ったスペインの例もあるので、気を取り直して次のギリシャ戦に臨んで欲しいものである。