5069.2021年3月29日(月) 96歳高齢者の3つの「独り旅」

 今朝の朝日「声」欄に紹介された神奈川県に住む96歳の男性の投書に興味を惹かれた。3つの独り旅と名付けて、高齢になってから楽しんでいる「読むこと」「書くこと」「旅すること」について書いておられる。年齢から考えてもこの読者の好奇心は素晴らしいと思う。つまり読書、作文、旅行である。旅行以外は今の若者にとっては大分欠けていることである。

 ご自身大正デモクラシーの末期、普通選挙法が成立した1925年に生まれ、満州事変勃発の31年に小学校へ入学して「内に立憲主義、外に帝国主義」時代の子だったと述べておられる。その点では、私が生まれた38年は国家総動員法の交付により、戦時体制が築かれた。そして、小学校(当時国民学校)へ入学したのが、終戦の年1945年だった。その意味では、「内外ともに帝国主義から民主主義」時代の子と言えるかも知れない。加えて、旅行会社へ勤めていた当時、旧厚生省主宰の太平洋戦争戦没者遺骨収集事業や、戦友会の戦跡慰霊巡拝団業務に約20年間も関わり、今注目を浴びているミヤンマーへ30回近くも訪れたのも戦争とは切っても切れない縁ではなかったかと感慨深く思っている。

 さて、このところ連日のようにミヤンマーのクーデターに反対する抗議デモのニュースが伝えられるが、一向にデモが収束しないことに苛立ったのか、国軍の鎮圧手段が大分荒っぽくなってきた。カチン族ら少数民族が住む山間部へ空爆したり、住民に無差別な銃撃を加えている残虐ぶりである。これについては、バイデン大統領も常軌を逸した行為だと国軍を厳しく非難した。

 このところ急激に死者が増えたのも、国軍の手荒な行動によるせいであるが、それについてひとつ気づいたことがある。昨日テレビ画像を観ていて、軍用トラック荷台に乗っていた国軍兵士が通り過ぎるオートバイに向けて突然銃を放ち、倒れた人の他に逃げようとした男性に向けても銃砲を向けたことである。はっきり言って通りすがりの住民に対して見ず知らずの人間がいきなり発砲した構図である。普段温和なミヤンマー人が不意に無防備の通行人に向けて銃撃するなんてとても考えられない。これも戦場のような殺気だった場面で、武器を手にした兵士が良心の咎めることもなく武器を使用した場面であり、戦争になって武器を手にすればブレーキが利かなくなるということを教えてくれた。同時に深く考えさせられた。手にすれば、誰にも見境なく銃口を向けるようになる銃器は、だからこそ普段は手の届かないところに厳重に格納しておくべきで、普通の市民には難しい。それがアメリカでは銃器類所持の許可さえ得れば、自宅に銃器類を所持することが許される。それが殺人を誘発することは容易に想像できる。アメリカで殺人事件が多い理由のひとつは、一般の民間人が許可さえ得れば武器、銃器を所有できる世界でもアメリカだけの特別法、殺人容認法があるからである。

 一般にアメリカは民主主義の母国であると考えている人が多いが、とんでもない誤解だと思う。アメリカ国民は他国にはない唯我独尊的な銃砲所持を容認する法律を破棄し、世界からこの市民が容易に殺人に手を染め得る恐れのある法律を放逐して欲しいと思っている。それは、アメリカ人の世界中の人びとに対する義務と責任であると思う。

 今日は近くの呑川緑道の見事な桜を見ながらウォーキングを楽しんだ。下手な一句が浮かんだ。

 桜咲く 隣の梅も 競い合い

 まだ、2,3日は大丈夫だろう。

2021年3月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com