先月母校湘南高校の同窓会「湘友会」総会に初めて出席した。その折4月に着任された時乗校長が、来春計画している在校生のアメリカ西海岸視察旅行でUCLA、スタンフォード大訪問などを予定に組み込んでいるが、スタンフォード大が外部からの見学者を制限しようとしていると仄聞したと心配しておられた。
そこで、慶應義塾がかねがねスタンフォード大と留学生交換プログラムを実施しているのを在学中から承知していたので、湘南ラグビー部の後輩で慶大商学部長の金子隆教授に手紙で何か伝手がないだろうか、またアドバイスをいただけないかと尋ねてみたところ、意外なことに大学同士は交流に太いパイプがあるわけではなく、金子教授にも個人的に強いコネはないと少々がっかりさせられる回答をもらった。ただ、交流計画についてはこうあるべきだとのアドバイスをもらったので、直ぐ時乗校長に連絡し、併せて今日湘友会事務局に参考に供せられるようコレポンのやり取りコピーを送ったところである。
それにしても今の高校生が羨ましい。今年3月にはオックスフォード大、ケンブリッジ大を視察し、来年は米西海岸の大学を訪問する計画を立てている。我々の学生時代には海外渡航が認められておらず、海外留学は夢のまた夢だった。戦前伯父のひとりがドイツへ留学したことは大きな憧れだった。機会を捉えて私も何とか大学在学中にアメリカの大学へ留学したいと夢みていた。大学4年時にせっかく得たウェスタン・ミシガン大短期私費留学のチャンスをつかみながら、費用を工面できず計画は水泡に帰した。
あの時ウェスタン・ミシガン大に短期ではあるが、留学していればわが人生は別のものになっていただろうか。1968年にはプラハのカレル大留学がらみでチェコに渡る計画を立てたが、その直前になって衝撃的な「プラハの春」事件が勃発してこの計画もうたかたの如く潰えてしまった。
海外留学を望みながら、ついにわが身に「輝かしい海外留学」のチャンスはやって来なかった。その後文部省の教員海外派遣団の添乗員として、度々海外の名門大学を訪れたが、ついにわが学生時代にそれらの大学で学ぶ機会はなかった。それだけに余計に今の高校生が羨ましい。校長の話によると、今では高校在校中に海外の大学を視察して夢が膨らむと日本の大学ではなく、外国の大学へ入学したいと希望する生徒も現れてきているという。
時代も変わったなぁとつくづく思う。もう一度生まれ変わることができたら若いうちにぜひとも欧米の大学へ留学してみたいものである。
さて、今日は盧溝橋事件が発生して77年目である。盧溝橋に近い北京の中国人民抗日戦争記念館で行われた式典に初めて出席した習近平国家主席が、またも対日非難のスピーチを行った。気持ちは分からないわけでもないが、あまりにも後ろ向きではないだろうか。日中対立の現状は認めざるを得ないとしても、お互いに問題を緊張させるのではなく、両国の首脳が少しでも融和の方向へ向かって努力しなければ、先の展望が開けないのではないだろうか。双方で非難合戦を繰り返し、歩み寄ろうとしないのでは、お互いの存在自体が意味のないものとなる。もう好い加減にして欲しいものである。