日本列島を襲いつつある台風8号が沖縄に上陸して、沖縄本島17都市で50万人以上の人々が避難勧告を受けている。今度の台風では初めて特別警報が出され、今後日本列島を北上し、11日、12日には関東も暴風圏に入ってしまうようだ。
台風に初めて特別警報が出されたのは、数十年に一度の災害が予想されるからで、直ちに命を守る行動が必要と気象庁が判断した時に発令される。台風8号は、1934年に3千名の犠牲者を出した室戸台風、5千名の犠牲者を生んだ59年の伊勢湾台風クラスだと予想されているほど強大なものである。
テレビの各気象予報では、細かい解説に努めているが、今日は朝から上空が真っ青で蒸し暑さを別にすれば、台風がやってくるなどとはとても思えない。だが、これから東日本へ襲ってくる台風は、7月としては過去最強クラスの台風で最大級の警戒が必要とされるほど激しいそうで、天気予報図を見ても充分警戒しなければならないと思う。
さて、うっかりしていたが、昨日は盧溝橋事件発生77周年記念日であったと同時に、日本にとって辛い戦史となったサイパン島玉砕70年の節目の日でもあった。日本軍の戦没者は4万1千人から3千人、在留邦人は1万数千人が亡くなったと推定されている。この他にも現地島民1千人近くが犠牲になった。私自身もう30年もサイパンを訪れてはいないが、今朝の新聞でバンザイ岬周辺の写真を見るといくつもの慰霊碑が建っている。ここは、防空壕内の司令部跡、ラストコマンド・ポストと自殺者を生んだ断崖バンザイ・クリフの近くにあって、現在では最も慰霊の場としては相応しいかも知れないが、我々が戦没者遺骨収集事業で出かけたころは記念すべき碑のようなものは何もなかった。それが73年初めて慰霊碑と石灯が建てられた。この近くで行われた慰霊祭や焼骨式の光景が瞼に浮かんでくるほど懐かしいところで、近著でもこれらについて触れている。各地の反戦運動と同時に、業務として長年戦没者遺骨収集に関わってきたサイパンも幾分懐かしい気持ちが湧いてくるのは、時間が経過したからだろうか。決して忘れてはならない悲劇である。