2623.2014年7月19日(土) 航空機撃墜とロシアの関わり合い

 一昨日のマレーシア航空機を撃ち落とした事件を考えていると、1983年9月にサハリン沖で大韓航空機がソ連空軍機によって撃墜された事件をまざまざと思い出す。ちょうどあの事件直後に、全国の高校教員から成る文部省教員海外派遣団に添乗して、東ドイツ、スイス、アメリカのエバレット(ワシントン州)の教育機関及び学校を1カ月に亘って視察した。

 当時東西冷戦中で分割された共産圏の東ドイツのベルリンからポツダム、ドレスデンへ寄った後、学校訪問都市のカール・マルクス・シュタット(現ケムニッツ)を訪れた。そこのホテルで真っ暗闇のエレベーターに乗った時、ホテルのスタッフに大韓航空機墜落事件についてそっと尋ねてみた。驚いたことに何と彼は世界に衝撃を与えたこの撃墜事件をまったく知らなかった。そのこと自体大きなショックだった。すでに事件発生から半月以上も経過していて、世界中の誰もが知っている筈だと思っていた。だが、厳しい情報管理下にあった旧社会主義国家では、自国の失態と自国にとって都合の悪い情報は徹底的に隠ぺい工作を行っていた。それが実態だった。国民が知るわけもなかったのだ。

 当時の東ドイツには社会主義の盟主ソ連の申し子として、国内に厳しいカーテンが敷かれていた。学校訪問では質疑応答に際し、終始我々に付き添い監視役を務めていた州の国民教育部国際関係局の眼光鋭い目付役ヴェルナー氏からひとつひとつ了解を得るとか、返礼パーティの招待者は、招待する日本側が選ぶのではなく彼が人選するという塩梅だった。戦前のゲシュタポのような秘密警察監視の下に学校見学を行うという、実に窮屈で張り詰めた空気の中の教育研修だった。尤も29名の先生が全員男性だったわが教育視察団も、東ドイツばかりでなく、スイス、アメリカの学校訪問でも異様に映ったようだった。

 あの時代あのように自由を束縛し、厳しく国民を監視する社会主義体制の悪しき一面が、現代の社会主義国家、ロシアや中国には今でも少なからず残されている。根本的には、東西対立時代の社会主義の制度自体は潰えたとは申せ、ロシアと中国には今また悪夢だった残滓が密かに復活しつつあることは間違いない。自由を抑圧し国家管理体制を強化する動きが、自国のみならず、他国までも破壊しようとする行動に繋がることには、ロシアが何と言い逃れをしようとも絶対に許されることではない。

 プーチン大統領はウクライナに紛争が存在することが、このような事件を起こしたなどと的外れの持論を展開し、ロシアの責任回避を主張しているが、ロシアが重大な責任を負っていることはいくつかの明白な証拠によって次第に明らかにされていくことだろう。ロシアこそが、ウクライナ親ロ派武装勢力を支援し彼らを破滅的行動に駆り立てた責任を負っている。ロシアは素直に今回の事件を謝罪し、責任を取ったうえで、即刻ウクライナから手を引くことが、唯一の解決法であることを知るべきである。

2014年7月19日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com