4982.2021年1月1日(金) 新年の抱負と考えること

 新型コロナウイルスで散々だった2020年に別れを告げて、真っ青の空の下に新しい年、令和3年、2021年を迎えた。

 ♪年の始めの 例とて 終なき世の めでたさを 松竹たてて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ~♪ どこからか聞こえてきそうな気がする静かな新しい年の幕開けである。

 昭和21(1946)年の新年に疎開先の学校の講堂で小学校1年生(当時国民学校初等科1年生)として、初めて歌った確かな記憶がある。翌月2月11日の紀元節には、♪雲にそびゆる 高千穂の~♪を歌った。いずれもそれが最初にして最後だった。封建日本を象徴する行事はすべてマッカーサー司令部の命により中止されることになった。爾来公の場でこれらの旧文部省唱歌を口ずさむことはなくなった。昭和22年国民学校は小学校となった。

 しかし、「年の始めの」は、決して皇国崇拝でもなく、軍国主義ということでもない。むしろお正月の古来日本の風習をよく描いていると思う。年末29日の本ブログにも取り上げたが、残念ながら各住宅の門ごとに松竹は見られなくなった。コロナ禍の被害が大きくなって以降に今日のお正月を祝うムードはどこからも漂ってこない。

 今日は毎年ウィーンの楽友協会ホールから生中継されるNHKのウィーン・フィルハーモニーのニュー・イヤー・コンサートを鑑賞するのを大きな楽しみにしていた。指揮者はリカルド・ムーティで6度目であるが、コロナ禍の影響で初めて無観客で行われた。しかし、この楽友協会ホール内の無観客はどうもぴんとこない。いつも最後に演奏されるラデツキー行進曲の手拍子が迫力不足だった。また、観客の服装や、日本人客の存在などを観るのも楽しみのひとつだったが、それも叶わなかった。ウィーン・フィルハーモニー事務局も気を遣って世界中のファンとリモート交信で拍手の音を壇上の団員に伝えていたが、所詮臨場感のある観客とオーケストラの一体感には及ぶべくもない。来年こそはこうしたことがないことを強く望んでいる。

 今日は、朝食にお正月の定番、おせち料理をいただいたが、このところ家ではまったくお酒を飲まなくなったので、うっかりしてお屠蘇のお酒がないことに気づかなかった。それにいつもなら出かける母校高校のラグビー祭が中止となったので、年末に出版社から送って来た拙著「八十冒険爺の言いたい放題」を知人、友人に昨日から今日ちょうど100冊送った。入れ替わりに受け取った年賀状を読んでいると、気になるのが年齢的にきついので、来年以降は年賀状を辞退したいとの文言である。こうして徐々に交友が消えて行く。

 その中で驚いたのは、高校時代の野球部の仲間の賀状だった。昨年の1日当たりの歩数を11,995歩、約8.7㎞と万歩計で記録し、文庫本を1月平均27.5冊も読んでいると知ったからである。社会人野球を終えた後、長らく社会人女子サッカー・チームの監督を務めて、幾人かの日本代表を育て上げた。いかに読書好きとは言え、文庫本を1日1冊読むのは、すごいことだと思う。正月早々から気合を入れられたように感じている。

 さて、今年はどんな年になるだろうか。旅行には出かける機会が少ないと考えている。そうなると文章を気の向くままに書くことである。幸いこのブログも2007年以来書き続けてあと18日で5千回の大台に達する。これはこれで今まで通り書き続けて行きたい。書物として世に出せる作品の構想もあるので、1,2年内に仕上げたいと思っている。後は気ままにエッセイや、論稿を気の向くままに書いてみたい。まだまだ両親から授かった精神と肉体をこのまま放ったままには出来ない。これからも地道にコツコツやるぞ~。

2021年1月1日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com