4942.2020年11月22日(日) ビートルズのジョン・レノンを懐かしく想う。

 昨晩NHK・BSで「奇跡の名曲イマジン(ジョンとヨーコ・発掘映像と貴重な品々が語るふたりの激動の人生)」というタイトルのジョン・レノン夫妻の活動をレポートする1時間半のドキュメントを感慨深く観せてもらった。ジョン・レノンは、世界的な人気を誇ったボーカル・グループ、ビートルズで数々の名曲を作曲し歌った歌手であることは言うまでもない。特に♪Yesterday♪や、♪Let it be♪は好きな曲であるが、その型破りの生き方には驚かされる。とりわけ日本人アーチストのオノ・ヨーコと結婚して以降、軽井沢を度々訪れたり、日本語を覚えたり、ヨーコの影響で日本に強い関心を持ったようだ。裸でベッドから自由と平和をアピールした「愛のベッド・イン」と称するパフォーマンスをやったり、アメリカに移住してベトナム戦争に反対し、当時のニクソン大統領の怒りを買い国外追放を言い渡されるなど、常に世界中に話題を提供していた。ベッド・インの映像を初めて知った時はあまりにも衝撃的だった。そのベッド・ルームには記者やカメラマンが入れ代わり立ち代わり入っては、多くのメディアが質問していたが、中には意地の悪い記者もいてジョンに向かって金儲けのためにやっている売名行為だとか、捨て台詞を吐きながら自ら部屋を出て行った者もいた。国外追放の件では、結局ニクソンがウォーターゲート事件で大統領を辞任したために、幸い国外追放は免れ逆にアメリカの永住権を得たという皮肉な結果にもなった。オノ・ヨーコがジョンがのめり込むほど才能ある芸術家であるとは、ついぞ知らなかったが、ジョンとはよほど気持ちが通じたのだろう、2人で離れず生活をともにするようになってから反ってビートルズの他の3人とは気持ちが離れて、ビートルズ自体が解散することになった。

 「イマジン」は、好きな曲のひとつであるが、これがジョンだけの作詞・作曲によるものではなく、ジョンとヨーコの共作であると言い続け、2017年になってそのことが漸く認められるようになったことは初めて知った。

 1980年12月8日、ジョンはニューヨークの住まいだったダコタ・ハウス前で売名目的のひとりの青年に銃撃され死亡した。ちょうどその時偶々旧文部省の教育視察団とともにフランスのマルセイユを訪問中だったが、マルセイユ駅近くを歩いていた時、号外で彼の死を知った。しばらくはマルセイユ市内でも大きな話題になっていた。その翌年ニューヨークを訪れた時、悲劇の舞台となったダコタ・ハウス前を通ってジョンの死を悼んだことがある。テレビでは、そんなジョンの特異な生きざまが紹介され、知らなかった一面も合わせて彼の人となりを知ることが出来た。ロカビリーやポップス・ミュージックについては、まったくの門外漢で知識もないが、ビートルズの曲は大好きだし、ジョンが作った「イマジン」はとりわけ好きで時折口ずさんでいることがある。その後、 SIMON & GARFUNKEL の ♪明日に架ける橋♪ に魅せられ、よく聴いた。だが、彼らも子どものころからの友だち同士だったのに、その後解散してしまった。残念である。もう一組気に入った兄妹デュオがいた。そのデュオこそ CARPENTERS であり、 ♪Yesterday once more♪ が特に好きだった。これも妹が若くして亡くなり、今では聞かれなくなった。歌の上手い歌手もグループを組むと不運に襲われるようだが、その点でジョンとヨーコは好い線を歩んでいたのに、変り者に運命を奪われてしまった。歌手自身、ファンも皆自らの希望と願いを全う出来ずやりきれない気持ちではないだろうか。

 当時40歳だったジョン・レノンが亡くなってから早いもので間もなく40年になる。久しぶりにビートルズとジョン・レノン夫妻の消息を画像で観て、しばし懐旧の想いに浸った。

2020年11月22日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com