これは終戦間もない小学生の頃の記憶である。絵本でスエズ運河の絵を見て、何となくスエズの景色に憧れた。その頃小松崎茂が描いた同じような絵物語に夢中になっていた。その後そのスエズ運河が頭の中にインプットされたまま、1967年第3次中東戦争直後にスエズ運河に出かけ、運悪く警察に身柄を確保されるていたらくとなり、押し込められたホテルの裏窓を破って忍び足で屋根伝いにスエズの街へ出かけて行ったことが走馬灯のように甦って来る。
ところが、現実のスエズの街は戒厳令下にあり、かつて描いたイメージとはまったく変わっていた。それは時代の経過があまりにも大きかったことから無理もないことでもあった。
実は、日経紙によると子どもの頃絵本で見たような気がしたスエズの景色と称する本物の絵画が、113年ぶりに発見されたのである。近代日本画の巨匠、竹内栖鳳が1901年にヨーロッパから帰国してすぐ描いたもので、美術展に出品後行方が分からなくなっていたが、広島県廿日市市の美術館が所有していたことが、先月末明らかにされた。
110年前の絵は、私が実際に訪れて自分の目で見たスエズ運河とは、60年近い日時を経たせいもあり似ても似つかないものだったが、絵の中でスエズ川の畔に見られるラクダや砂漠、ヤシの木は110年前のスエズの情景をほうふつとさせるものだった。この絵に強烈なインパクトを与えられ、私の魂が揺さぶられるような気がした。47年前訪れたスエズは戒厳令が敷かれた物々しい町だったわけだが、あれから少しは落ち着いたスエズがもう一度呼んでいるのだろうか。
スエズを訪れた時、イスラエルの空爆で市街地から市民は避難して市内には若い男だけしかいない異常な状況だった。でも、運河縁で相撲のような遊びをしていた男たちは、気さくに話しかけてくれた。難しいだろうが、戦争の危険のなくなったあのスエズ運河にもう一度行ってみたいものだ。その前にできれば、廿日市市の「海の見える杜美術館」で今秋展覧会に公開される郷愁の本物の絵画「スエズ景色」を観てみたいものである。