今日の大きな社会的ニュースは、「昭和天皇実録」公開と錦織圭選手の全米オープン準優勝である。後者は錦織選手が日本人として初めて決勝へ進出したが、残念ながら敗退したことである。朝のニュースで時間的にまだ結果は分からなかったが、その内に結果が3-0のストレート負けと分かった。しかし、それでも号外が出る有様である。確かにプロテニス4大タイトルで日本人として初めて決勝へ進出したのはご立派である。今大会で一気に花を咲かせた錦織選手には今後もチャンスがいくらでもある。仮に今回優勝でもしたら日本中が大騒ぎになったのではないだろうか。それだけに今後のタイトル獲得が楽しみである。
それにしても錦織選手のように若い時に海外武者修行で自分を磨くというのは、その人の素質もあるだろうが、大きく育つためには大きな要素であるように思う。サッカーの三浦和義選手が一流プレーヤーとなり、40歳を超えてもなおあの激しいサッカーを続けていられるのも錦織選手の海外武者修行に通じるものがある。
もうひとつ朝刊一面を占めていたのが、「昭和天皇実録」公開である。「昭和天皇の動静 克明に」とか、「新資料や回顧録の存在判明」とやや建設的に理解しようとしている。昭和天皇が崩御されてからすでに25年の歳月が経った。学者や作家がそれぞれコメントを述べている。私には果たして実録がどこまで真実であるかとの疑念がある。大正天皇実録には黒塗り個所が多く、歴史への冒涜と極めて評判が悪かったようだが、昭和天皇実録には黒塗りがないからと言って「公開性を意識した結果、物議を醸しそうな点は記述していない可能性もある」(古川隆久日大教授)。
敢えて物申せば、公開した宮内庁には、表向き公になっていない昭和天皇への非難を守ろうとの意図があるのではないか。例えば、昭和天皇は平和を追及していたとして軍部の独走を戒めたとの記述は考えられるが、御前会議で大東亜戦争へGOサインを出したのは、間違いなく昭和天皇である。それほど平和を希求するなら、天皇の立場なら満州事変の勃発、太平洋戦争勃発を強硬に反対することができたと思う。この昭和天皇実録公開が天皇の戦争責任追及をかわす目的に使われるようなことがあってはならないと思う。
さて、今日は母校湘南高校で、連絡しておいた校長と教頭に会い拙著を寄贈した。その前に校庭で硬式野球部員に佐々木信也先輩について言葉を交わした。体育会系運動部員らしく挨拶がはきはきして感じがとても良くすっかり気分を良くした。先日佐々木さんらとの鼎談が掲載された「江ノ電沿線新聞」を一部あげたらとても喜んでくれ、同窓会事務局長との話を終えた帰りがけに私の運転する車に向って何人かの部員が頭を下げて挨拶してくれるほどの好意を示された。
その後藤沢駅周辺で用を足して近くの有隣堂書店を覗いてみたら、スポーツコーナーではあったが、拙著が平積みされ、そこに「著者湘南高校出身 湘南のことが書かれています」とペン書きで紹介されてあった。こういうやり方も販売効果があるのだろう。こんなパフォーマンスも嬉しい。