4864.2020年9月5日(土) 「筑波山ガマの油売り」口上名人亡くなる。

 今日の朝日夕刊「惜別」欄に去る7月に73歳で亡くなった歌手弘田三枝子さんが紹介されていた。「人形の家」などのヒット曲があるが、それより中々パンチのある「アスパラ」のCMソングがテレビから流れてきたのをよく覚えている。注目したのは、その隣に筑波山のガマの油売り口上で知られた吉岡久子さんの訃報である。やはり7月に96歳で亡くなられた。

 実は、吉岡さんのガマ口上は、2004年12月4日に吉岡さんが大女将をしていた「筑波山江戸屋」に、茨城県教員海外視察団団員が24回目の同窓会に集まり、「1枚が2枚、2枚が4枚~」と懇親会で熱演してもらってじっくり鑑賞させてもらい強い印象を受けたことをよく覚えている。その時すでに80歳だった吉岡さんが、日本刀を抜いた迫力ある実演にはほれぼれした記憶がある。記事によると私たちが鑑賞した時は、筑波山ガマの油売り口上第19代名人「永井兵助」を名乗っておられた。確かにおぼろげながらそんな記憶がある。女性がガマの口上をするとは、筑波山でも珍しかったようだが、保存会事務局長も声と手の動きはしなやかで鮮やかだったと思い出を語っている。

 それは想い出せばキリがないほど鮮烈な思い出の多い視察団だった。1980年12月茨城県教育庁課長を団長に、小中高の先生方と旧文部省係長を加えた計18名の教育関係者を案内して16日間、フランスのマルセイユとローマで小中高など教育施設を訪問した他に、マドリードとパリを観光した。ところが、その最中に世界中にショックを与える事件が起きて皆驚いた。12月8日深夜、あのビートルズのジョン・レノンがニューヨークのアパートを出た瞬間に、突然若者に拳銃で撃たれ、ほぼ即死状態だった。ちょうとその時我々はマルセイユにいたが、9日の早暁ジョンは亡くなった。マルセイユではジョン・レノン急逝は号外となって大きな騒ぎになっていた。レノン殺害事件はその後も何かとこの視察団でも話題となった。あれから早や40年が経った。

 マルセイユについては、視察団の折団長、班長の先生とともに日本総領事館を表敬訪問して、総領事から市の様子もうかがった。また、愛読書のひとつ、デュマの「モンテ・クリスト」にナポレオン時代のフランスの街の雰囲気が伝えられており、その後2度訪れたが、その都度市内を歩いては主人公モンテ・クリスト伯への思い入れを重ね合わせたものだ。港から見える巌窟王の島・モンテ・クリスト島へも行ってみたいと思いながら望みは果たせていない。丘の上の眺望の素晴らしいノートルダム寺院も懐かしく想い出されてくる。

 今この視察団は団長をはじめとして半数以上の団員がすでに冥界へ旅立たれた。団長が亡くなるまで同窓会「チボリ会」は、団員の先生方が仲睦まじく続けられた。旅行で一緒だったことを縁と絆にして、いつまでもこれほど長く親しく団員同士が交流していたグループは珍しい。いくつかの衝撃的なメモリーとともに、愛おしい思い出が蘇ってくる。

 これまでに旧文部省海外教育視察団21団体のお供をしたが、それぞれに今も強く印象に残っている。すでに長い時間が経過したので、同窓会は今では1985年10月にご一緒した兵庫県視察団だけしか続けられていない。近年兵庫県の同窓会には出席していないが、そろそろ黄昏時になってきたので、この新型コロナウィルスの時勢下集まり難い環境にあるが、開催されるなら万難を排して久しぶりに懐かしい先生方のお顔を見に参加してみたいとの気持ちが強くなった。

2020年9月5日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com