2680.2014年9月14日(日) 朝日体質へのしっぺ返し

 11日に朝日新聞社木村社長が自社の誤報について謝罪記者会見をした翌日から今日まで、連日大きなスペースを割いて朝日はひたすら懺悔と恭順の気持ちを表している。その一方で他社はこの機会に、日ごろから抑えていた不遜な朝日に対する反発と鬱憤晴らしで辛辣な記事を書いている。とにかくこれら2つの重大な誤報に関係していた記者以外の記者にとっては気の毒というしかないが、これも朝日の体質ではないかと思える節が随所にある。実際思いあがるのも程度問題ではないかと不愉快に思ったこともある。自分たちが世論を形成しているのだと言わんばかりの言質は、朝日ならではのものだろう。

 例えば、私にもこんな経験がある。今年5月「記者有論」に北埼玉支局のある記者が、鉄道路線の愛称についてコラム記事を書いていたが、間違いを発見しメールで朝日に指摘した。ところが、ウンでもスンでもなく、時間だけが過ぎた。担当者に指摘したことに対して回答ぐらい寄こすべきではないかとクレームをつけた。担当者は私からの指摘は支局へ送ったと自分は責任を果たしていると言わんばかりでカチンときたので、返事を寄こして初めて責任を全うするのではないかと言ってやった。その翌日のことである。件の記事を書いた記者から居丈高に私には事実誤認があると一方的に言ってきた。結論から言えば、お互いに認識が違っていたのだが、その時記者は自分は間違っていないと偉そうに話したので、これが朝日記者のエリート意識の顕れだと知った。

 記者の顔写真を見れば、まだ若くあまり世間を知らずに今日までひたすら自分が正しいと信じて記事を書き続けてきたのだろう。

 ジャーナリストにとって大事なことは、事実を正確に伝えることは当然であるが、人の意見に謙虚に耳を傾ける誠実さこそ必要であるとつくづく思った次第である。そうすれば、不遜な態度で顰蹙を買うこともないだろう。今度の事件は朝日を四面楚歌に陥れ、結果的に徹底してジャーナリズムの世界から叩かれているのは、これまで自分たちこそ正しく、世論をリードしているとの傲慢さが鼻持ちならなくて、この際とばかりしっぺ返しを食らったのではないかと思っている。

 それでなければ、記者会見の前日発行の「週刊文春」に「朝日が死んだ日」とか、「週刊新潮」に90「特集-続・おごる朝日は久しからず」、或いは「文藝春秋」10月号に「慰安婦大誤報-朝日の正義はなぜいつも軽薄なのか(平川祐弘東大名誉教授)」などと大々的に特集を組まれることもない筈だ。

2014年9月14日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com