最近はほとんどメディアでも報道されることがなくなった5.15事件が勃発したのは1932(昭和7)年の正に今日だった。海軍青年将校らのクーデター計画により、時の犬養毅首相が暗殺された。その2年前若槻禮次郎首相が出席したロンドン海軍軍縮会議の締結文に不満を持った若手将校、そして翌1931年満州事変を画策した関東軍参謀らがひたひたと暗い戦争へ歩を進めていった。そして1932年5月15日、事件が発生した。一昨年の拙著出版記念会に出席してくれた高校時代の友人の元通産次官・牧野力くんは、この事件の時の内務大臣だった牧野伸顕の曾孫に当たる。
戦争の怖さ、恐ろしさ、核戦争防止をアピールするために、今月アメリカのオバマ大統領が広島を訪れることは大きな意義がある。それでいながら戦争へのめり込んで行った太平洋戦争のきっかけともなった5.15事件が、マス・メディアで一向に取り上げられず放って置かれることは、次の戦争防止・回避への警鐘を鳴らすことを避けているようで、どうも不可解で気になって仕方がない。
最近特に感じることであるが、昨今のメディアはニュースの捉え方の視点、取材方法、現場感覚などの点で年々劣化の道を辿り、今や腰抜け同然となった。コクのある読み物がなくなった。大げさに言えば、民主主義の危機でもある。
さて、このブログを書き始めたのは2007年の今日だった。爾来毎日コツコツと稚拙な文を書き続けて今日連続3289回を数えるに至った。文字数もほぼ4百万語になる。改めて今日から10年目に突入する。
確かに毎日書き続けることはタフだと思うことは往々にしてある。疲れた時、深酒した時、書く時間がない時、海外へ出かけた時など、それでも何とか1日も欠かさず書いてこられたのは、多くの友人、知人に強く励まされたことが力となっている。今では僭越ながら「継続は力なり」を自分自身で実践できていると思っている。書き出して2年目に久恒啓一・多摩大学副学長から「近藤さんはブログの中でいつも何かに怒っているようだ」と仰っていただいた。やはり日常生活の中で自分自身が感じたことを黙って書いているつもりだが、現政治体制、政治家の劣化、世襲政治家の跋扈、他国の乱暴な行動、世の理不尽な事象、悪辣なパフォーマンス等々について、冷静に見てみると理不尽で許せないと思うことがしばしばある。つい若気の至り?が表れてしまう。昨年喜寿を迎え後期高齢者となりながら、相変わらず人間的に未熟だなぁと自身反省せざるを得ない。いまでは、自分なりに「後期」→「光輝」→「高貴」高齢者へと階段を駆け上がっていると思いあがってもいる。
これからいつまで書き続けることができるか分からないが、取り敢えず母校湘南高創立百周年記念の2021年に、5千回達成を目標にして前向きに歩んでいきたいと考えている。やはり書き続けていると、読み返した時にふっとこんなこともあったなぁと懐かしく思い出すことがあるし、今とは違う考えだったこともある。何といっても文章を書くことに抵抗がなくなったことが大きい。これが最大の武器になっているかも知れない。
今日を区切りに、一層の意欲を向上させて前進していきたい。
なお、今日は沖縄が日本に返還されて44年目の1日でもある。その日沖縄から核施設は撤去されたが、日米両国が望めば核施設は沖縄に再設置できるとの密約があったようだ。だが、わが国は非核3原則を堅持している筈である。反動政権の言動如何で、今後騒がしくならなければ良いがなぁと思っている。