福島第一原発事故に関する吉田調書、及び従軍慰安婦報道の誤報について、誤報と認めて記事を取り消した朝日新聞社社長の謝罪会見から朝日に対する批判が相次ぎ、全メディアのみならず、これまでの自民党に対する厳しい姿勢への反発と鬱憤晴らしもあって自民党からも異常な批判に晒されている。
マスコミの朝日批判は留まるところを知らない。特に朝日に対して厳しいのは、新潮社と文藝春秋新社である。
9月4日号「週刊新潮」では、トップに「1億国民が報道被害者になった『従軍慰安婦』大誤報!」、同じ9月4日号「週刊文春」は、「朝日新聞『売国のDNA』」がトップにある。更に、18日号になると「週刊新潮」は「驕る朝日は久しからず」と徹底的に追及の手を緩めない。「週刊文春」に至っては「朝日新聞が死んだ日」と手厳しい。更に文春は追及の手を緩めず、「中国共産党に国を売った朝日7人の『戦犯』」とまで締め付けている。
そして最近の月刊誌の朝日批判、朝日攻撃である。「文藝春秋」10月号は昭和天皇実録がトップであるが、イタリア在住の作家・塩野七生に「『従軍慰安婦』朝日新聞の‘告白’を越えて」として彼女なりの朝日観を書かせている。元々右寄りの「WILL」11月増刊号では、すべて朝日問題だけに絞り、「歴史の偽造!朝日新聞と従軍慰安婦」と追及の手は留まるところを知らず、文藝春秋は朝日をやっつけるための臨時増刊号まで発行し、保守的な識者に「『朝日新聞』は日本に必要か」とまで言わせて徹底的に糾弾させている。とてもすべての記事を読む時間もないくらいである。
その間朝日は朝日で反省し粛々と検証しているように見える。朝日紙上で紙面審議会なるものを開催して報告をしている。その矢先に昨日朝日朝刊にまたまた妙な朝日内部のお詫びを込めた記事が載った。従軍慰安婦で故吉田清治氏の証言の初校を執筆した元記者が、実は別人だったとするお詫びと訂正記事を掲載した。どうしてこういう好い加減な扱いを天下の朝日がやって、しかも昨日まで気が付かなかったのか不思議でならない。どうして分かったかと言えば、この記事を書いた時この記者は海外にいて記事を書くこと自体が不自然だったということからである。どうしてこの記者は調べれば分かることを黙ってやり過ごし、昨日まで固く沈黙していたのか。実際に記事を書いた記者も記者である。もう朝日は分からないことだらけである。こんな調子では、まだ他にもあるかも知れない。
そして今日事態は不自然な結果を残してウヤムヤのままひとつの幕を下ろした。この元記者は大阪の帝塚山学院大学教授を務めていたが、今月半ばに大学側に退職を求める脅迫文が送られ、自らに不明を感じていた元記者は自ら辞職して大学を去ることになった。
朝日の誤報は、一朝日新聞社ばかりでなく、日本国と日本国民、加えて朝日社員にも大きな傷を負わせた。報道とは真実を曲げることなく事実をそのまま伝えることが責務である。それを敢えて真実を曲げ、あまつさえ日本国民に大きな痛みと屈辱を伴う報道をしたことはジャーナリストとして風上にも置けない。
もうこんな後ろめたい罪悪感の伴うことは絶対止めてもらいたいものである。