2698.2014年10月2日(木) 代々木ゼミナールが事業規模縮小

 今日ミクロネシア連邦大使館へ出かけ草柳秘書とジョン・フリッツ大使の拙著出版記念会への出席の可能性について率直に話合った。期日は来月10日(月)だが、ミクロネシアのモリ大統領の訪日と重なる可能性が高く、日程が固まっていない現在、出版記念会に出席できるかどうかはまだ分からないということだった。以前大使に尋ねた時にも同じようなことを仰っていた。森喜朗元首相にもご出席いただけるだけに、大使にご出席いただけないとすると拙著のパートナーの最も身近な人がその場におられないことは何とも残念である。

 大統領の訪日予定は3日ごろで、その後名古屋、大阪、高知、福岡を経て9日、つまり出版記念会の前日にグアムへ向かう案だそうである。微妙なタイミングになったが、大使はこの案だと物理的には何とか可能だが、休みをまったく取らないというのもストレスがたまることだろう。運を天に任せて大使のお出ましを待つより仕方がないのかも知れない。

 さて、8月に突然大手予備校、代々木ゼミナールが経営不振から大幅な校舎、及び職員削減に踏み切るというショッキングな話題が報じられた。代々木ゼミと言えば、駿台予備校、河合塾と並んで日本の3大予備校と呼ばれて久しい。かつて勤務していた会社は代々木ゼミの本拠地・代々木にあったので、本部ビルと10年ばかり前に立てた自前のテクノビルのような巨大な高層ビル・キャンパスには威容を感じていた。その威容を見て益々発展著しいと見ていた。ところが代々木ゼミの内情は、そんな楽観視できる懐具合ではなかったようだ。1957年に設立して以来、現役受験生を対象に発展を続けていたが、2000年ごろから低迷し出して、近年は受験界では駿台、河合の2強状態だったようだ。57年と言えば、私が浪人した年で、浪人生が増え続けたきっかけとなった年だった。私は浪人1年目を研数学館で、2年目は自宅で個人的に受験勉強に励んだが、その時すでに60余年の長い歴史と伝統を誇った名門塾の研数学館も今や姿を消した。代々木ゼミは伸び続けて会社の昼休みに喫茶店へ行くと代々木ゼミの講師を務めていた小田実が、よく若い人とコーヒーを飲んでいる姿を目撃したものだった。小田と同じように代々木ゼミ講師を務めた小中陽太郎さんも英語を教えていて、その教え子の中には渡辺喜美・元みんなの党代表や、故中川昭一・元財務相もいたと仰っていた。

 いずれにせよ、代々木ゼミがわが世の春を謳歌したのはほんの束の間だったと言える。全国に27か所もある施設を7か所へ大規模に集約し、40歳以上の職員に早期希望退職を募ると発表した。

 代々木ゼミの衰退は、基本的に浪人生の減少だという。代々木ゼミの強みは中堅私大を狙う浪人だったが、それが減少した。選り好みしなければ、今ではどこかの大学へ入ることができる大学全入時代となった。若者の空気も敢えて浪人の道を歩もうという学生が減った。浪人生の絶対数が減ったのである。他の駿台や河合塾では、浪人してでも合格を目指す難関大学志望者をメーンターゲットにした。この点で代々木ゼミとは勝負が分かれたようだ。

 代々木ゼミ以外でも苦戦を強いられている有名予備校が他にもある。これも対応策は事業縮小である。今や受験界にも食うか食われるかの時代到来である。

 個人的にも受験で苦しんだだけに他人事とは思えず、昔を思うと心情的にどうしても受験ゼミの衰退を黙って見過ごすわけにはいかない。

2014年10月2日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com