今朝早く新幹線で京都へ向かった。中学時代の同窓会出席のためである。京都市立上桂中学を昭和29年に卒業して丁度60年になる。聞けば今では校名も「上桂中学」ではなく、「桂中学」と変わったようだ。3年生時の1年間だけしか在籍しなかったし、卒業後すぐ父の東京本社転勤により藤沢市鵠沼へ転居して湘南高へ入学し京都を離れたので、同じクラスの親しい友達以外はあまり知らないが、それでも一緒になって嵐山から松尾山界隈を遊び回っていたせいか結構顔なじみも多い。
5年ぶりの開催だが、参加者は同級生29名にお二人の恩師に参加していただいた。担任の清水義一先生とお会いできたのは嬉しかった。現在85歳であるが、卒業後すぐ京都を離れた私のことを随分気にかけてくれている。いつまで経っても恩師は恩師である。もうひとり国語の岩橋光先生が車いすでやって来られた。優に90歳を超えておられる。わざわざ我々同窓会にご出席していただいたことは大変有り難いと思っている。
それに引き換え、親しかった仲間の1人で永年教職に就いていた河内一くんが来なかったのは寂しかった。仲間に聞いてみると案内状に対しても出欠の返事もなかったという。5年前には元気な姿を見せていたのに、どうしてこうなってしまうのだろうか。そう言えば、先般拙著を送っても受け取ったとの連絡もなかった。人によっては加齢とともに段々自から人との接触を避けるようになる傾向があるようだが、彼も自分を益々狭い世界に追い込んでしまっているのではないだろうか。特に同窓会のような催しに対して消極的になっているというから自分の城に籠ってしまったということだろう。一度手紙を書いてみようかと思っている。
他に親しかった岡本勲くんと穴田弘くんは相変わらず元気がいい。穴田くんは幹事役を務め、今後もずっと幹事役を引き受けると随分前向きだった。ただ、親しかった仲間のひとり、湯浅登喜夫くんが昨年3月に亡くなったのが何と言っても寂しい。
その代わり今日は元気が良かった柔道部の佐野修弘くんと卒業後初めて話合うことができた。昔と同じように柔道部魂で同志社でも活躍したようだが、まだ会社会長として現役で頑張っているようだから頼もしい。
女性では、小柄で可愛い感じだった藤森律子さんと隣席で話合っていて意外なことを知った。何と彼女の息子さんが、NHK交響楽団の主任チェリスト、藤森亮一氏だという話だ。その奥さんも同じくチェリストだそうだから恐れ入った。来月上野浅草オーケストラでチェロを演奏する飯田ゼミの赤松さんに尋ねてみようと思う。
やはり子どもの頃の友達と会って話し合えるのは、楽しいものだ。いつまで続けられるか分からないが、このまま来年以降も開催されるようならできる限り出席したいと思っている。