4583.2019年11月29日(金) 中曽根康弘元首相 死去

 今日の都内最高気温は9.7℃で今季一番の寒気だった。ちょっと近くの郵便局まで出掛けたが、やはり寒かった。

 昨日大学ゼミの仲間が亡くなったことについて書いたところ、今年1月に他界した高校ラグビー部の後輩でOB会副会長だった入野耕二さんの奥様から彼の思い出を綴った小冊子を送っていただいた。彼は人間的にも円満で人望があったが、小冊子には奥様の彼への細やかな愛情が滲み出にいる。彼は幸せな人生を送ったものと推察出来る。彼は私がOB会長に推された時、副会長をお願いして快く引き受けてくれ、終始協力してくれた。昨日、今日と偶々私的な弔事が重なったような気がしていた時に、不思議なことに今日大物の死が伝えられた。101歳で永眠された中曽根康弘元首相である。

 中曽根元首相は、「三角大福中」と呼ばれ頭文字を取ったライバルともども総理大臣になったが、その中で在任期間が5年と長く、戦後5番目の長期政権だった。目立つ業績としては、何といっても巷間伝えられる電電公社、専売公社、国鉄など民営化の実施である。NTTドコモ、日本たばこ産業、JR東海などは、中曽根首相の下で発足した。直近の共著「新世代の観光立国」で中心的な共著者だった須田寛JR東海相談役は、国鉄改革により初代JR東海社長になられた。

 他にも都下日の出町の中曽根別荘でレーガン大統領と会談して一躍有名になったロン・ヤス会談ではアメリカと密約し、アメリカ戦略防衛構想(SDI)への研究参加や、国内防衛費をして国内総生産の1%枠を突破させた。また、リクルート事件への関与が信頼を大いに損ねた。憲法に関しては自主憲法の制定について早くから声を上げたり、靖国神社へ初めて公式参拝して当時の中国から強い反発を受けてもいた。功罪相半ばというところであろうか。

 ただ、長らく親交のあった渡辺恒雄・読売新聞主筆が、中曽根さんと会えば必ず読書の話になり、酒の席でも文学や本の話になったというから2人とも余程読書が好きだったのだろう。今読書離れが言われて久しいが、この機会に本を読まない若者は、中曽根さんかナベツネの爪の垢でも煎じて飲んでみてはどうだろうか。

2019年11月29日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com