4478.2019年8月16日(金) 2.26事件最高機密文書と天皇「拝謁記」の公表

 太平洋戦争関係のニュースは、昨日の終戦記念日とともに一応帳を下ろしたようだ。昨日NHKがスペシャル番組として放映し、ごく最近発見されたという海軍の最高機密文書について報道した「全貌『2.26事件』」を録画しておいたので、終戦とは直接関係はないが、戦争の遠因ともなった事件なので、今日じっくり鑑賞してみた。

 2.26事件については、どういうわけか近年メディアであまり取り上げられることがない。天皇が在位中に最も気にされた2つの事象とは、終戦とこの2.26事件だったという。それだけに日本史上最大のクーデターと言われ、その後軍部が天皇を神格化し軍国主義体制を堅固にして、ついには太平洋戦争に突っ走っていった経緯を考えても、反戦的な立場と反省からすれば、最もタイムリーな日時である事件勃発の2月26日前後に、メディアは平和志向の意味を込めて事件を取り上げるべきである。しかしながら、最近では事件が起きた2月26日前後にほとんど報道されることがない。その点について私自身不満に思い近年は2月26日になると毎年このブログ上に指摘している。メディアの不感症ぶりに失望し、このままでジャーナリズムは大丈夫だろうかと心配もし、少々呆れていたところでもある。終戦記念日にこのようなドキュメンタリーを放映するなら、どうして時宜を得た当日の2月26日前後に放映しないのだろうか。

 この最高機密文書は、比較的最近になって見つかった事件の重要な書類で、事件に当たって海軍内の動静や内幕について詳しく紹介している。天皇、陸軍、海軍がそれぞれの難しい立場でこのクーデターを鎮圧するに至った経緯を各方面の視点から明らかにしたものである。何しろ海軍内の6冊からなる部厚な詳細な記録文書だけに、よくぞこれまで機密が保たれ83年間も表に出なかったものである。

 2.26事件については、松本清張著「昭和史の発掘」に詳しいが、新たに見つかった文書との関連性についてはもちろん触れられていない。この文書で一番不可解なのは、事件前に海軍軍艦が東京湾に集結して内戦一歩手前まで追い詰められた状況にあったこと、戒厳司令部士官と親しかった青年将校との面会の事実、そして事件の1週間前に海軍では、岡田啓介首相、斎藤実内相、高橋是清大蔵相、鈴木貫太郎侍従長が標的にされていたことを承知していたこと、反乱軍の中核青年将校・安藤輝三大尉、栗原安秀中尉ほかの名前が把握されていたにも拘らず、それに対して海軍は何ら手を打たなかった等の疑問である。

 これほど貴重な資料はそうざらにあるものではない。これだけの重要な事実を知らないまま今日まで至ったということは、似たような革命的なことを企んでも世間には分からないままになることが今後も有り得るということになる。恐ろしいことであると同時に、メディアは伝えるべき情報を入手して、それが国家の平和と安全、国民の安心と安全に結びつくなら、即刻前向きに伝えるべきであると思っている。

 ところで、今夕7時のNHKニュースでは、NHKが昭和天皇との対話を書き写した田島道治・初代宮内庁長官の「拝謁記」を入手したと発表した。昭和24年から5年分もある。その中で天皇は太平洋戦争について悔恨の念と悲痛を述べられていた。軍部の勢いは誰も止められなかったと、また東条英樹なら軍を抑えられると信じて首相就任を認めたが、結局駄目だったと仰ったという。また、昭和27年サンフランシスコ平和条約が締結された際、お言葉の中に天皇は「反省」という言葉を加えたかったが、吉田茂首相が反対して入れることが出来なかったと述べたそうである。

 戦後74年になって新たに貴重な資料が見つかったり、プライベートな記録が公表されたり、今までこれほど長い間どうして表に出てこなかったのだろうか。他にもまだ真実が公になることが有るかもしれない。それだけに今公表された情報だけでもせめて確実に知っておかなければならないと思っている。それにしても情報というのは無限にあるものだろうか。

2019年8月16日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com