4477.2019年8月15日(木) 74回目を迎えた終戦記念日

 今日は74回目の太平洋戦争終戦記念日に当たる。今では戦争を知らない世代が増えて、戦争の本当の怖さや厳しさを知らない人たちが多くなった。それだから反戦とは言ってもどこまで本気なのか分からないことがかなりある。

 午前中に武道館で政府主催の令和最初の全国戦没者追悼式が行われ、今上天皇が初めてお言葉を述べられた。今対立している韓国では今日は日本から解放された記念日として「光復節」と呼んでいる。

 今日は西日本方面を襲っている台風10号とお盆の交通関係のニュースが大分多い。しかし、この1週間を見てみると終戦記念日があるせいか、やはりテレビでも戦争に関するドキュメンタリー番組が比較的多い。その中で12日にNHKで放映された「かくて自由は死せり~ある新聞と戦争への道~」を観ていてハッとなった。主役として紹介されたのが元司法大臣であり、鉄道大臣も務めた小川平吉で、1925年から35年まで「日本新聞」を発行して天皇制度の絶対護持を主張していた右翼政治家である。その平吉の次男・小川平二は自民党員ながらリベラルで学生時代に父親からアカは家の敷居をまたぐなと脅かされたという。その平二の娘がわが妹の亭主の弟と結婚したので、妹にとっては平二の娘は義妹に当たる。小川平吉はかなり個性の強い人物だったが、信念を曲げなかったのは、政治家として1本筋が通っていたと言えよう。意外な縁から改めて小川平吉を観察することになったが、昭和の初めには保守から右翼への風が強くなり、日本は中国へ進出することになった。それが、今日終戦74年を迎えた太平洋戦争に突っ込んで行った原因となった。日本新聞で浜口雄幸首相のロンドン海軍軍縮条約調印を天皇の統帥権干犯として厳しく追及し、その結果として浜口首相が暗殺される事態を招いたのにも、平吉には一端の責任があると思う。

 夜になってNHKスペシャル「全貌『2.26事件』」の他に、フジテレビ「アンビリバボー」で「実録不死身の陸軍特攻兵・・・9回出撃生還した男」というドキュメンタリー番組が放映された。後者については陸軍航空慰霊団のお供でビルマへ何度か訪れている時に、主人公・佐々木友次伍長の話はしばしば聞かされていた。その後本でも読んだ。その当時海軍の神風特攻隊の他に陸軍航空隊にも万朶隊という特別攻撃隊があると初めて知ったものである。佐々木伍長名誉の戦死と新聞に報道され、家族も外に出られなかったという当時としては屈辱的な生活を送ることになった佐々木伍長の家族は、周囲を気にしながら忍従の生活を送っていたという。佐々木伍長は第4飛行師団のパイロットとして終戦までフィリピンに留まり捕虜となった。戦後も生き延びつつ数年前に92歳で亡くなられたという。この種の話はあまり知られていないが、これからも華やかな一面ばかりでなく、隠れた真実もどんどん掘り起こして戦争を知らない世代にもっとアピールして欲しいと思う。

2019年8月15日 | カテゴリー : 未分類 | 投稿者 : mr-kondoh.com